小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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時世の粧い

レタス

2018年12月16日

レタスは普段の食事によく使う食材である。その外葉は、時に産地の土で汚れたままであったり、茶色く変色していたりすることがある。そんな外側の2,3枚は、いつもゴミ箱に捨てるのだが、ある日それを庭に置いてみた。ふと、捨てるよりは虫にやった方がいいと思ったのである。しばらく経って見てみると、案の定、虫が集まっている。ダンゴムシが寄ってくるだろうことは予想していたのに、毛虫に加えてナメクジまでもが群がってきている。いったいどこからやって来たのだろうと、不思議に思うほどの数である。我が家の庭には、レタスを求める虫が思いの外、たくさんいたのである。予想をはるかに超えた多くの虫を発見、その動きをしばし眺めてみた。

毛虫は、その周りに糞をいっぱい出しながら、黙々と口にしている。まるで糞製造機である。すこしも休むことなく、せっせと食べ、せっせと排泄している。その食べ方の旺盛さから、彼らにとってのレタスは、普段口にする食草とちがって、きっとずい分とご馳走なのだろうと思った。ダンゴムシは、レタスの葉でおおわれた苔のところをウロウロしていて、食べているのやら、隠れ蓑にしているのやら、わからない。もしかしたら、他の虫たちが列を作って、寄ってきているので、何かあるのではと、家族中でつられて来てみた、という類いかもしれない。虫の世界だって、野次馬がいておかしくはない。ナメクジは、大げさにツノを振りかざしながら食べていて、まるで小怪獣を思わせる。彼らの動きがあまりに面白かったものだから、いつのまにか、レタスの外葉は、庭に捨てる習慣になった。

さて、生活の仲間として、動物を飼う人は多い。犬などはその典型で、餌をやっているうちに、飼い主になついて、良好な関係になる。しかし、レタスの葉に集まった虫たちとは、とてもそういう関係にはならない。いくら彼らに働きかけたところで、我関せず、と黙々と食べるだけである。とはいっても、小さな場所で、一心不乱にレタスをかじる彼らの行動を見ていると、ふいに自分もその雰囲気にのみ込まれた。「地球一家」のような一体感である。ただ眺めているだけだが、私は、彼らがいとおしくなり、ファーブルになったようである。

そういえば、このところ小鳥をよく見かけるようになった。虫の姿を見ることも多くなったが、小鳥の姿も増えた気がする。たった数枚のレタスの葉を置くことで静かだった庭が、急ににぎやかになった。レタスから食物連鎖が見えてきて、地球環境改善に貢献している気分になったと同時に、彼らを鳥たちから守ってやりたい気分にもなった。