小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

二冊の本

2017年04月01日

毎年、映画評論をしている知人からもらう年賀状には、1年の間に作られた映画のうち、自薦のベストが挙がっている。今年は『ハドソン川の奇跡』であった。折をみて映画を鑑賞するつもりである。

さて、昨日とはちがう今日となるのが読書。私も知人にならって、映画ではないが、この1年のうち夢中になって読んだ二冊の本を紹介してみたい。

 

『鼻の先から尻尾まで -神経内科医の生物学-』 岩田誠

変わったタイトルのこの本、神経に関したことがこれほど面白い世界だったのかと、改めて神経内科学を学びたくなった書物である。鼻の先から始まり尻尾まで30の話が記されている。

タイトルが「鼻の先から尻尾まで」と名付けられた由来は、これが神経内科の診療範囲だということからであるらしい。一般には、人体の全てを表すときには、「頭の天辺から足の裏まで」という言い方をする。しかし、この表現では、人体の最先端と最後尾の診療を放棄することになると著者は言っている。そこで、このタイトルを理解するには、人体の感覚神経の皮膚分節を一見すればよいという。そして、それを補足するよう、ヒトが四肢動物として四つ足姿勢をとった絵が挿入されている。成る程、この姿勢だと鼻が先頭にあり、臀部が最後尾となる。ヒトの身体全体を、今の二足歩行だけではなく、進化以前の四つ這いの姿勢から見つめてみようというのである。歴史でいえば、今の時代を現時点だけ切り取って見るのではなく、明治、大正、昭和からの流れで捉え直すことなのである。医学書には、おそらくこの視点はない、と思う。著者は、色んな動物に言及もしながらヒトを説明している。

「或る日、なけなしの髪を洗い終えて鏡の中を見つめた」著者は、片眼をふさいでみる。すると、開いた眼の瞳孔が散大していることに気づく。そして、そのことは神経内科や眼科の教科書には書かれていないことに得意になる。しかし、対光反射の遠心路から出た線維は眼球に向かうが、それと同時に眼球には、左右の網膜から来る線維が入ってきている。それだから、片眼をふさげば光が減るのは当たり前で、小躍りするほどの発見ではなかったと、すぐさま訂正調の文章が続く。

しかし、著者はこの経験を簡単には捨てない。大学の研究者は教育者でもある。著者は、さっそくこのことを講義に取り入れた。学生に瞳孔径を測らせて、その変化を見させて、その理由を考えさせるのだ。何よりも自分の身体を観察することが臨床の基本だと学生に教えているのである。

著者は、頚椎、鼠径輪、肛門周囲の静脈叢、腰椎などは、ほとんどが二足歩行となったことと関連することによる構造欠陥であると指摘している。頚椎に至っては、神様の設計ミスのずさんさ、とまで言い切っている。ヒトが二足歩行し始めたとき、それまでに二足歩行をしていた恐竜や鳥類と比べて、脳みそが重過ぎた。そこに、神様の予想を裏切って寿命が延びたため、高々40年の耐用年数しかない頚椎椎間板の様々な疾病に悩まされることになった、と述べている。腰椎にも在るやはり同じくらいの耐用年数しかない椎間板。これらの構造欠陥を神様の失敗と著者は言う。この神様の失敗説に、腰痛持ちの私は納得した。著者も腰痛を経験したらしくて、痛みを起こさない予防策を講じている。すなわち、捻るな、担ぐななど幾つかを揚げている。これらは、私がこの数年で会得した予防策とほぼ同じ内容であった。

以上、内容の一部を紹介した。各ページ、各行に神経の説明、身体の観察、人間の観察が隙間なく書かれていて興味をそそられっ放しであった。ここで、ほんのわずかしか取り上げられなかったことが残念である。200ページに及ぶこの本は、これまでの臨床上の視点を大きく拡げてくれた。

 

『鹿の王』 上橋菜穂子

ずい分前から、私の娘に上橋菜穂子はいいよと勧められていた。娘に会うと何かと話題となる上橋菜穂子。昨年、『鹿の王』には、伝染病など医学的なことが書かれているよと言われ、それなら実益を兼ねて読んでみようと買い求めた。

これは、命と病に向き合った、大自然をバックにしたスケールの大きな小説である。大自然とは言っても、幻想的な架空の世界の話である。先ず帝国の侵略によって奴隷にされた主人公が登場する。囚われの身になった主人公のいる洞窟に、黒狼が侵入し、噛まれてほとんどの囚人が死亡する中でたった一人生き残り、主人公の生きる旅が始まる。一方でもう一人の主人公である医術師が、黒狼による病の原因究明に乗り出して話が展開する。

人の病を左右する場面では、身体の免疫学的反応が詳しく記されている。黒狼に噛まれて病を発症する民と、主人公のように発症しない民がいることが、この小説の一つのテーマである。文中には、たとえば、「毒を弱めた黒狼熱の病素を用いて、その病素に抗し得る力を人の身体に与える」「病素の活動を抑える力を持った素材を用いて」「感染者の身体が作っていた、病と闘う成分を精製した」など、免疫グロブリンやワクチンと思われる医薬品の精製などに言及していて、これらが話の進行の鍵となる。また、ある種の生物が重要な感染源となる話に及ぶ中で、免疫学的寛容を学んで理解が深まる個所もある。

一方で、このような医学的世界の話だけではなく、神がこの世を創ったなど、旧約聖書のような宗教的世界にも入り込む。また、「生きることには、多分、意味なんぞない」「家族や身内に感じる愛情もまた、生き延びるためのものだ」など、哲学的とも思われる世界もある。これらの多岐にわたる視点は、著者の幅広い教養があってこその内容である。

たまたま見たテレビで著者がこの小説に言及していた。彼女は更年期を迎えたとき、「あなたはもう結構です」と言われてしまったような気分になったという。そこから、ヒトはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、それを知りたいと思うようになったという。そして、そのことを追求して出来上がったのがこの小説である。「もう結構です」から小説が完成するまで、著者に浮かんだいくつもの問いや閃きがあった。それを明らかにするためのいくつもの歴史、医学そして生態学などの調査が行われ、それらが小説の中に散りばめられている。幻想的な架空の世界とはいえ、これらの丹念な調査に基づいて書かれているため、深みがある。

総じて物語は、免疫学から宗教的記述へ転じたと思えば、二人の主人公の登場をタイミングよく場面転換させ、興味の対象を次から次へと目まぐるしく変える。物語を覆う幻想性と正確な疾病の説明とは、一見矛盾するような事柄であるのに、何の抵抗もなく読み進められる。それを可能にしているのは、著者の知性である。

この本を読もうとしたきっかけは、娘に勧められて、しかも免疫学を扱っていたからである。しかし、想像も出来なかった幻想の世界にすっかり浸かり込んでしまった。あとがきに、医学に関する部分は、従兄の医師に監修してもらったとあった。さもありなん、医師としての興味も尽きずに、上下2巻、1000ページを超える物語を一気に読了した。

昔、人づき合いしないで読書ばかりしていると世界が狭くなるよ、と忠告されたことがあった。何をか言わんや。ここに紹介した二冊は、いずれも私にとっては、大きく視野を拡げる「別ぴん」な世界をもたらすものであった。

岩田誠『鼻の先から尻尾まで -神経内科医の生物学-』(中山書店 2013年)212頁

上橋菜穂子『鹿の王 上 -生き残った者-』(KADOKAWA 2014年)565頁

『鹿の王 下 -還って行く者-』(KADOKAWA 2014年)554頁