小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

書評を通して

2017年05月14日

新聞や雑誌に掲載されている書評は、本を購入する参考にするから重宝にしている。しかし、書評のなかの何を理由に本を選ぶのかということを、はっきりと自覚せぬまま、今に至った。書かれた文章に好き嫌いの感情があり、そんなことが本選びにどう影響したのか考えてみた。

私が学生だった頃、同い年の旧友と読書の話をしていた時だったと記憶しているが、ある人物が各新聞を読み漁った結果、朝日の書評が一番いいと言っていたことを聞いた。それまで、どういう手順で本を手に入れたのかは、記憶に薄い。おそらく、友人などからの伝言、教科書にある文章などがきっかけとなって読書を始めたのだと思う。書評については、私が10代後半から刺激を受けていた旧友の言葉でもあって、以来朝日を中心に読んで本を求めるということが加わったように思う。

書評良し、本良し、という書評との交わりがほとんどであるが、そうでないこともある。10年くらい前だろうか、現東京工業大学教授の中島岳志氏が書評を担当していた。その当時、日曜日が待ち遠しいくらい彼の書評を楽しみにしていた。ところが、あるとき推薦本を購入したところ、残念ながら、その本はさほど心に残らなかった。私は、書評を切り抜いて買った本に挟んでおく習慣があり、時折その書評を読み返す。それでわかったことは、私は本からの引用文に惹かれたのに、実際は、中島氏が本の引用文の前後を脚色した、その文章の流れに魅力を感じたということだった。このことから、面白い書評は、必ずしも面白い本にはつながらないと知った。私個人は、ただ彼の文章を読みたかったということだ。

それまでも、本によっては途中で面白くなくなって、投げ出したくなることがあった。せっかく買ったのだから、とにかく読み通そうと、無理を重ねたことも多かった。ある時、知の巨人と呼ばれる立花隆氏が、つまらない本だと思ったら、人生のムダだから、すぐに読むのをやめるようにと何かに書いていたものを目にした。どちらかというと、几帳面に読んでいた私が、どれだけ立花氏のおかげで楽になったことか測り知れない。中島氏の推薦本も途中で読むのをやめて、しかも何だったかは忘れた。

本を選ぶにあたって、書評は重要なのだが、私には書評子の文章が好きだという結論である。そういえば、河合隼雄が紹介した児童書より、彼がその本について書いた文章の方が面白いと言っていた友人がいたことを思い出す。

元朝日新聞記者の河谷史夫氏、彼が新聞の書評欄を担当した頃は、もったいなかったけれど記憶にない。しかし今、ある月刊誌にエッセーのように連載している書評がある。たとえば、名づけが大事、ということについて、「無名の『吾輩』がいちばん有名な猫の世界とは異なり、人間世界にあっては名前が大事である」という書き始めは、静かで深い見識を想像してしまう。私は、彼の筆致が好きで、彼の本も愛読した。

こうして改まると、私を刺激するきっかけは、本も書評もその筆致によるところが大きいということだ。中島氏や河谷氏に惹かれるのは畢竟、好みの問題だろう。しかし、私は好みの問題として隅に追いやることなく、惹かれ続けてきた。いわば浅いつき合いより深いつき合い。書評子との出会いが、重宝した朝日を超えて、部屋の本棚やファイルを豊かにしてくれている。