小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

生活と直感

2023年07月10日

近ごろ、生成AIと称するchatGPTを使って、小説、詩などの知的行動を任せたり、問題の解答を変換してもらったりすることが話題になっている。私はこの生活の変化をまだ享受していないと思いつつも、世の中が急速に変わっていることを感じる。そのような日々、いまの時の流れに抗したことを何かの拍子に、次から次へと思い出した。

ある母親のことである。彼女には嫁いだ娘がいて、娘に実家のあることを用命していた。急ぐことでもなかったそのことを都合のいい日に済ませた、まさにその時に、いま済ませたのではないのかと、娘に電話をかけた。どうも、母親はそのような予感がしてかけたらしい。また、ある刑事さんが、会食の最中に手配中の犯人が近くにいるのではないかと、繁華街に出たところ、果たして見つけて逮捕したということを、ある人のエッセーで読んだ。これを刑事の勘というのだろう。私にもやや似たようなことがあった。私は2019年の秋に、カミュの『ペスト』を読んだ。翌年、コロナ禍に突入したことは周知の事実である。ニュースによると、これを機に『ペスト』が良く読まれるようになったようだが、偶然ではあるものの、先取りして読んだのであった。

このように、小説より奇なりの事実は、探せばある。これら、予感、刑事の勘、偶然の一致という事象、辞書を引くと、各々、虫の知らせ、第六感、原因がわからないことなどと書かれている。総じて、物ごとの真相を心で感じ、直感が働いたと言われる部類のことなのだろうと思う。この直感とchatGPTを大まかに対立する概念として考えてみた。

さて、chatGPTについては、触れたいと思う一方で畏れもあり、何とも気になる存在である。かつて、文明の波が固有の文化のなごりをたいてい流してしまった、と明治維新以降のことを書いたのは寺田寅彦。このように歴史をひも解くまでもなく、chatGPTには変革の大きさを感じ、これまで寄って立った生活の利便がかき回されてしまうのではないかと畏れる。それは、老年期に身を置き、加齢のせいで自らが変革に対応しにくいからだということ、そして、やはりchatGPTに巨大な存在感を抱くからかも知れない。

一方で直感は、我流の解釈であるが、人間の動物たる存在の証であると思うのである。たとえば、鳥は雲行きが怪しくなるなど、天候の変化を察知して低く飛ぶ、というようなことに、私は動物特有の鋭さを感じ、これは直感の部類に入ると思っている。直感は、どの生き物でも生存本能につながっていると愚考する。chatGPTは、直感をもこなして、人間により近づくのだろうか。もしそうなら、それはそれで楽しみなことであるものの、直感を働かせる人間が、人間たる所以を根こそぎに剥がされてしまうのではないかという危惧を抱く。そういえば、件の寺田寅彦は、感覚(五感)の意義効用を忘れるのは、かえって自然を蔑視したものとも言われる、と記している。chatGPT始め、あらゆる機器は、生き物である人間に即応するよう、コツコツと文明に浸透していって欲しいと願う。同時に、機器に溺れないようにすることが、寺田寅彦から学ぶことだと思う。

改めて、生活の中にふと湧き起こる直感を大事にしたいと思う。そして、取りも直さず、文明の「端境期」に直感を損なうことなく毎日を送りたい。ある知人が言うように、直感は裏切らないからである。