小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

時間短縮と相撲立ち合い

2023年04月26日

アメリカ大リーグで「ピッチクロック」が導入され、オープン戦試合時間が短縮されたという記事があった。昨年に比べて、平均すると26分も短縮されたらしい。ピッチクロックとは、投球間隔の時間を制限することであり、ピッチャーは、ボールを手にしてから走者がいない場合は15秒以内に投げる必要があるようだ。

野球は、攻撃と守備を交互に行なう競技である。攻撃側は、打者が一人で向かい、他の人は、ダッグアウトで控えることになっていて、その間は、身体を思いきり使わなくて済む。そのことが、ほぼ全員が走るサッカーなどに比べてスピード感で引けを取ると、私は思っていた。しかし、私の思っていることとは別に、長い試合時間を何とかしようという主催者の思いがあるのだろう。2時間、あるいは3時間くらいかかる野球の試合を、いまの時代にゆっくりと観戦する人が減っているのかも知れない。

さて、時間短縮と言えば、相撲の立ち合いに思いが至る。対戦する力士が仕切りを繰り返し、制限時間になって立ち合うとき、お互いに呼吸を合わせる、その合わせ方が力士によって異なっている。早くに呼吸を整えた力士がいる一方で、ある力士は、後ろにある徳俵まで下がって、なかなか腰を落とすことがない。また、別の力士は、足裏で土俵をこすり、腰をそらし、と相手にお構いなく、自分の呼吸を形作る。両者は相対しているのに、まるで取り組む極まで「別行動」で立ち合うのである。それだけではなく、その動作に時間がかかって、見ているこちらの緊張が切れてしまう。この間を仕切る行司の人たちの苦労が絶えないのではないかと想像する。最近時々十両の相撲も観戦するのだが、ここでも中入りと同じように、別々の動作でもって呼吸を合わせていた。事程左様に、それぞれの立ち合いの動作が異なると、さすがに興趣が減ってしまう。

立ち合いについて調べてみた。戦前の双葉山時代には、制限時間いっぱいになって塩をまいて、相対すると直ちに立ち合っていた。大鵬、柏戸の時代も、千代の富士の時代でも、相対して間を置かずに立ち合っていた。いまとは明らかに違う立ち合い風情なのである。ひと言でいうと、取り組みにスピード感があるのだ。それなのに、いまそれぞれが自分流の呼吸の整え方をするようになったのには、理由があるのかも知れない。少し大雑把ではあるものの、時代順にみてみた。大鵬、柏戸などは仕切り線に手をついてはいなかった。まるで立ったまま立ち合うような格好であった。しかし、千代の富士の時代になると、双葉山時代のように、しっかりと手をついている。ちょうどその頃のある時期に、手をつく、つかないと論争があり、親方衆から指導を受けていたことがあったと記憶している。つまり、千代の富士時代からこちら、手をついたり、つかなかったりと、立ち合いが乱れた。その結果、指導され是正しようとする力士が、手をつくまでに、それぞれのルーチンワークを持つに至ったのではないかと推理してみたのである。

その推理はともかくとして、「別行動」での立ち合いは、見ていて興趣が減るだけではなく、いわゆる相撲取組の型にそぐわないと思うのである。日本相撲協会のHPをみると、「相撲には歴史、文化、神事、競技など様々な側面があり、それぞれ奥深い要素を持っています。」と書かれている。神事であればこその基本動作、文化の側面を担う仕切り、これらをいまの立ち合いから感じ取ることは出来ない。ピッチクロックならぬ「立ち合いクロック」までは求めないにしても、制限時間いっぱいになってからの相撲が醸し出す奥深さを願う昨今である。