小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

三重県熊野市 小山医院

時世の粧い

誰ぞ常ならむ

2023年03月12日

このところ、光陰、幾星霜、の文字が頭をかすめることが多くなった。いつまでも若くはないことは承知しているつもりでも、いざ年を重ねてみると、これまでの歩みの早さと、寄る年波には勝てないことに、はっと気がつくこの頃である。先だって、大学でワンダーフォーゲル部活動を共にした先輩、同輩と宴の機会をもった。昨年9月、やはり部活を共にした先輩を亡くしたことから、お互い会えるうちに会っておこうと企画したのが年の始めだった。

先輩とは、何10年ぶりかの再会で、頭髪も含めて変わらぬ姿に驚いた。昔、彼の結婚式に招かれたときには、当時私が吹いていたフルートを披露、また、私の結婚式では司会をお願いした仲であった。同輩は、卒業後に部活をさらに発展させて、登山家の植村直己の探検に、医療班としてエベレストなどへ同行した猛者であった。彼とも10数年ぶりの顔合わせで、約束の食事時間より2時間早く待ち合わせて、喫茶店で時間をつぶした。

ご多分に漏れず、久々の再開は昔話から始まった。そして、話は最近の各々自身の身体の具合に及び、それは、3人になっても同じ話が続いたのであった。一般に、先輩とはありがたいものである。学生当時、この先輩が授業で取ったノートは有名で、私は、○○ノートと彼の名前を冠して、よく借りたことを当日別れてから思い出した。医師は、症状を聴き、診断して治療するという手順を踏むことを生業とすることは言うまでもない。その「当たり前」を彼が取ったノートにびっしりと書かれていた文字面が示してくれていた。

同輩は、己の優秀さをおくびにも出さない。むしろ、冗談が好きなのだろう、当日も先輩や私に対して、昔に発した言葉をうれしそうに再現、繰り返したのである。その彼が当時の資料を携えていて、見ると確かに優秀だったことの証拠が残されていた。

10代でこの仲間と知り合って、半世紀以上が経った。各々、変わらないようでいて、そこかしこで年数の長さを感じる。それを端的に感じるのが病を得たことなのだろうと思う。私だけではなく、先輩も同輩も少なからず経験してきている。「我が世誰ぞ常ならむ」と詠むいろは歌は、こういうことなのだろうと思いながら帰宅の途に就いた。そして、当日別れてから、同輩がよこしてくれたショートメールに、「思い出を確認するのも良いもんだね」と書かれていた。私は、妙にこの言葉に引っ掛かった。

私は、大学だけではなく、高校や中学の同期会にしばしば出席する。そこでは、昔話と現況に終始する。それはそれでいい時間なのだが、集まる前から、ああ、また同じことになる、と予想できることでもあった。しかし、同輩のメールの文言を読んで、眼が覚めたような気持ちになった。すなわち、思い出を確認する良さは、今だけではなく、すでに短くなった「これから」を見据えることなのだと、改めて思ったのである。それは、彼も先輩も当日発した言葉の端々に、病に屈してはいないと私が感じたことにもつながることである。いろは歌は、「浅き夢見じ酔ひもせず」と結ばれる。歌のように現世を超越することは、難しいものの、古希を超えた私に要る、超然とした心構えを抱かせてくれたひと時であった。