小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

おじさんと私

2022年12月03日

ある都会の小路で信号待ちしていたとき、私のすぐ前を初老の男の人が通り過ぎて行った。細身で、髪はどちらかというと薄く、腰痛持ちなのか、やや前かがみに歩いていた。その人は、特に目立ったわけではなく、無礼な言い方をすると、どこにでもいるおじさんであった。そのおじさんの後ろ姿を見ていたら、遠い昔のことが浮かんできた。

私が子どもだった頃、周りにはおじさんが大勢いた。彼らは大きな声で話し、体格も子どもより大きいから、近寄りがたい人が多かった。そんな中で、子どもを見つけると否応なく耳を引っ張って、恐怖に陥れるおじさんがいた。無論、この人は例外中の例外であったが、中には、優しくて価値観を拡げるに資するおじさんもいた。すなわち、私の周りに、怖さと優しさが綯(な)い交ぜのままに、親とはちがう大人がいることを知ったのである。それは、親に包まれた関係とは異なることであり、畏怖を抱くことにもなったのであった。

時が経ち、私は中学、高校と進み、さらに大学生、社会人となっても、おじさんはいた。そのおじさんは、いつもほとんど子どもの時に抱いた印象のままであった。そして、気がついたら私がおじさんになってしまったのである。それだけではなく、さらに年を重ねるうち、おじさんは年下になってしまったのだ。そのことは、街中で見かけたおじさんの様子から伺えた。また、テレビに登場するおじさんも、画面に名前と年齢が示されていて、はっきりと年下であることがわかる。つまり、私が何歳になっても、おじさんは周りにいるのである。そして、何と年下のおじさんにも畏怖を抱いてしまうのである。何だか、おじさんに対して、頭が上がらないが如くだ。

さて、世の中は、いつも変わらないと思うことがある。テレビに登場するアナウンサーは、何年経っても同じような年恰好のひとがニュースを報じている。私の好きな相撲もそう。私の若いときもいまも主に20代である力士が活躍している。とはいうものの、いつの間にか力士は平成生まれになっている。これを輪廻というのか、私の前に同じような景色を提供しながら時は移り行くのだろうと愚考した。

肝心のおじさんも、私の生涯を通して同じ出で立ちで現れる。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と書かれているのは、彼の方丈記。私には、「おじさんは絶えずして、しかももとのおじさんにあらず」の心境である。