小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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時世の粧い

科学といえないまでも

2022年04月01日

今は昔、阪神・淡路大震災が発生した2日前の深夜のことである。私が右側臥位に寝ていたところ、その私の枕の顔側を誰かが踏んづけて、続いて背中側を踏んづけた、と思った。確かに枕の左右が順に沈み、頭が沈むに任せて左、右に傾いた、と思ったのである。とっさに何者かが侵入したと判断し、がばっと飛び起きた。しかし、周りには誰もいない。もしや隣の部屋で寝ている長女が襲われているのではないかと心配になり、覗いてみたら、長女はすやすやと眠っていた。何のことだったのだろう、と思いながらもう一度寝ようとしたその時、電話が鳴った。祖母が亡くなったという知らせであった。

亡くなる2日前、叔父から元気にしていた祖母が急に倒れたと、知らせをもらった。すぐさま、家に駆けつけて呼びかけたところ、頷きはするものの、自力で身体を動かすことができなかった。叔父と相談のうえ、救急搬送を要請して入院治療をお願いした。そして、2日後の深夜、主治医から電話をもらったのである。経過が急だったため診断できないまま死亡し、申し訳ないとのことだった。たった2日の診察では、病名がわからなかったのは仕方ないだろうと思った。

連絡を受けて、慌ただしく病院まで車を走らせる中、枕を踏んだのは、祖母のたましいだったのでは、と思った。祖母には17人孫がいるが、亡くなる2日前に会い、最期に言葉を交わしたのは私だけであったため、私のところに知らせに来たのだろうと思った。鳴った電話は偶然にしても、あまりにタイムリーであったため、違和感なくたましいのことが浮かんだ。

生前の祖母については、たくさんの思い出がある。小学生の時、祖母の実家がある山間部の町に連れて行ってもらい、川で遊ぶだけではなく、時代劇の映画を見せてもらった。また、私がまだ学生でいるとき、上京して私が寂しくないようにと犬の玩具を持ってきてくれた。その犬は、一人暮らしの学生生活をずい分と慰めてくれて、いまも部屋に座っている。私の住まいが変わったときには、新たな管理人に挨拶をしに来てくれた。当時70歳を超えていたのに、駅から歩き、東京の環七にかかる陸橋を上って降りて、管理人のところに足を運んでくれたのである。祖母は食べ物を扱う仕事に従事していたせいもあり、私に対して、手ほど清潔にもなるし、反対に不潔になるものはないと、手洗いの励行を幼い時から教えてくれた。いま私が外出から帰ると必ず手を洗うのは、親から教わっただけではなく、祖母も加わって作られた習慣である。まるで親のように私に気配りをしてくれたのが祖母であった。

さて、たましいといえば、河合隼雄氏の書物には、「こころも体も全体として根づいて感じられるためには、たましいとのつながりを持つ必要がある」そして、「出来事が『自分のもの』になる。つまり、たましいとの関連がついてくるのだ」などと書かれている。たましいについての記述がしばしばみられ、これらのことについて、私は、こころも体も、たましいがあるからこそ有機的に動いてバランスをとる、と解釈した。河合氏のこれらの記述は、祖母のたましいを思い起こさせた。そして、たましいのことについて考えているうちに、たましいは身の周りに在るだけではなく、そもそも生者のうちにも在るような気がしてきた。すなわち、たましいが空中を飛ぶというのは、言わば古典的解釈であり、本来的には、たましいという言葉を借りた心身の在り方の統御そのものだと思うようになった。もしそうだとすると、枕が沈んだのも、私のたましいが祖母の危機を察知して騒いだ結果かも知れない気がする。

祖母の死から四半世紀が経った。河合氏が言う、つながるたましいが何を意味しているのか、本当のところはよくわからないままだが、祖母だけではなく、私にもたましいが在りそうである。相変わらず、「わからぬ世界」のことであるが、いずれにせよ、枕が沈んだという、科学で説明できない何か不思議なことがあったことは事実である。

  祖母からもらった犬