小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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時世の粧い

生きものの行方

2022年03月08日

毎年いただくシクラメン、今年は花がいつまでもぎっしりと詰まって、3ヶ月経った今でも咲き誇る勢いだ。ある日、日課にしている朝の水やりをしていたとき、詰まった花のすき間に、すでに咲き終えて、しぼんだ状態になっている花を見つけた。その花を横目に、時々庭に侵入する猫。その猫は、老いて死期を悟ると、森の中など自分の死に場所に向かうと聞いたことがある。実際は、体調が悪い時に敵に見つからないように姿を隠し、自力で傷や体調を治してから現れるそうであるが。植物も動物も、生を受け、病を得、老いて死に向かう。そして、シクラメンも猫も有機体となって地に還る。

さて、ヒトも例にもれず病んだり老いたりする。私事であるが、先日たまたま調べた血液検査の数値が高かった。予想もしなかった数値だったので慌ててしまった。程なくして専門医に相談したところ、すぐに来るようにということだった。診察の結果、もう一度同じ検査をすることとなり、果たして検査結果はほぼ同じ値であった。さらに診断を進めるために、生検という組織を取って確定することを勧められもして、紆余曲折の結果、一旦はお願いすることになった。

これまで、私は体力を維持したいために、ほぼ毎日、検査する日まで運動していた。私の年齢にしては、おそらく強い運動で、30分のあいだに200キロカロリーを消費することを目標として日々実践していた。このことが検査結果を修飾する、つまり病気でなくても運動することが数値を上げることがあることを知っていた。しかし、再検査の結果が同じような数値だったため、運動のせいではなく、実際に高いのだろうと、とにかく承服したのである。このように、この結果に悩まされる一方で、私の数値は、疾患ではなく運動によって上がったのではないかと、いわば希望的観測も抱いていて、落ち着かない日々を過ごしていた。そんなある日、机上で調べられる限りの文献にあたったところ、何と、運動刺激によって高くなった数値が、刺激をやめて一定の日数を経ると下がる、という文章に行きついたのである。検査後は運動を中止していたので、当然のことながら、私は一定の日数ののち再々検査をした。その結果、まさかの正常範囲に復したのである。生検をキャンセルしたのは言うまでもない。

約1ヶ月の間、私は高い数値を前にして右往左往したのはまちがいない。とても、猫のように森の中に向かう境地ではなかった。最近読んだ、あるジャーナリストの一生についての書物に、彼は病を得たときに平常心を保てなかったことが書かれていた。私も例外ではなく、一生は無限ではないことを知ってはいても、それが有限であることを改めてはっきりと知ることとなった。

生は有限、すなわち死に向かうという簡単ではない命題に思わず直面した。まさに前頭葉のなせる業(わざ)にヒトとしての業(ごう)を思う。その一方で、シクラメンにも猫にも在る生の営み。ヒトとして生を受けたら、そんな営みに向かう橋を「整備」しよう。それは、道理のあることだろうが、生きとし生けるものの大いなる暇つぶしなのだろうと、目下毎日の運動をやめて、ボーっと黙考している。