小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

三重県熊野市 小山医院

時世の粧い

サルにしばられて

2021年09月12日

小鳥や虫など小動物を目にし、生きとし生ける物との共存、という言葉が浮かんだのはいつだったか。言葉を口には発しないまでも、胸の内にキャッチフレーズとして抱いてきた。すなわち、例えば室内に侵入したクモを生け捕りして、そっと外に逃がして生かすことなどを実践してきたのである。しかし、5月以来我が家の敷地のみならず、町内に出没するサルに、こんなキャッチフレーズを壊されてしまった。そのサルが、お盆過ぎまで出没を繰り返して足掛け4ヶ月、とうとう捕獲された。

捕獲は、多くの市民の苦情に応えてくれた自治体職員と猟を生業とする方の努力の結果であった。この間、私には憂うつな日々であった。というのは、5月の連休明けから憩う場である我が庭がサルの遊び場と化したからである。庭に鑑賞用にそろえた木や鉢植えを何度も折られたり、ひっくり返されたりした。また、グラジオラスを根っこから何本も引き抜かれてしまい、今年は花を見ることが出来なかった。そして、テラスの屋根をへこまされ、物干し竿を曲げられた。それに、干した洗濯物を庭の隅まで運ばれ汚されたこともある。もう何十日も外に洗濯物を干すことが出来なくなっていた。

このようなことから、いっときでも早く立ち去って欲しくて、ある日、庭で遊ぶいとまを与えないように大声で威嚇した。しかし、却って興奮させたようで、私のいる廊下のガラス戸に向かって突進してきたのである。それからは、私の顔を見ると好戦的になり、ガラス戸を割れんばかりに叩くのであった。以上のようなことが続き、外出する際には戸をそっと開けて左右を見て、サルがいないことを確かめる習慣になってしまった。そして、庭に出るときには、必ず傘や柄の長い棒をもって身を守るようにした。私は、成り行き上威嚇してしまったから、このサルとは温厚な関係を保つことが出来なかった。

サルが街中に進出するようになった理由はわからない。街中だけではなく、山道でもよく出会うことがあり、単純に数が増えただけなのかも知れない。しかし、植林や伐採を繰り返すことが理由で、山に餌がなくなったと考えるのが妥当な気がする。植林や伐採をすることは、二酸化炭素の適度な吸収能力を高めるそうであり、人が山に介入することは、功罪相半ばなのだろうと思う。本当の理由はともかくとして、市内にはサルだけではなく、シカやクマも出没するようになった。獣にとって、まさに生き死にの問題なのである。

さて、このたび捕獲されたサルを最初に見かけたときには、小顔で人間に似た容貌を、かわいいと思った。また一時期、どこかで調達した灯油ポンプを抱えて遊ぶ様子が他の動物にはない知能の高さを思わせ、仲間意識を抱いたものである。しかし、上述のように、外に出ることさえ用心をしなければならなくなり、共存することなど、浅い考えだったと思い知った。いまは、捕獲されて私の周りは平和になった。しかし、私だけがそのようになったとしても、問題は何も片づいていない。今でも、別のサルが近隣の町に出没し、それも群れを成していると聞いている。

街中にサルが進出して、獣とヒトが近接状態になったものの、お互いに相容れなくて、結局は棲み分けすることが肝要である。共存するなど夢のまた夢である。しかし、ほかの獣にはない知能を有していて、気になる存在ではある。立花隆著『サル学の現在』に、「サルのサル性を知らなければ、ヒトの真の人間性もわからない。」と書かれている。ヒトに似ているからこそ彼が取り組んだのだろう。しかし、サルに悩まされた身には沁みる書物である。何故なら、庭を荒らされた4ヶ月を経験したばかりであり、サル性を知るなどと、目下の私には学問どころではないというのが本音だからである。そうは言っても、出会ったのも経験のうち、獣に敵対心という関心を抱かれたことなど、これまでなかったことである。もう少しして、ほとぼりが冷めたら、この書物を再読する気になるかも知れない。

以上から、獣とは棲み分けすることを踏まえた対策がもっと要るのではないかと、このたび改めて思った次第である。自然とともに在り、生きとし生ける物すべての「平和」に配慮して初めて、文明を享受できるのだろうと夢想した。