時世の粧い
相撲余話
2021年10月05日
私が相撲のテレビ中継を初めて観たのは、昭和30年初めの小学生のころ。まだ家庭にテレビが普及していなくて、「テレビがみえる〇〇屋」という宣伝文句のある食べ物屋さんに、小学生の「特権」で、何も注文せずに入りこんで観たものである。当時、若前田が横綱若乃花を倒したことが、古い記憶として残っている。それ以来、思えばまあまあ定期的に観戦してきた。
さて、先だって行われた9月場所で、気に留まったことが2つあった。先ず、宇良という力士のことである。彼は負傷して序二段まで陥落したにもかかわらず、幕内まで復帰した。同じく序二段まで落ちた力士に、復帰後は9月場所で横綱を張った照ノ富士がいる。その横綱との取り組みで、投げに屈せず、裏返しになりながら、相手のまわしにしがみついて耐えた一番があった。レスリングの経験があったからだと思わせるアクロバティックな粘りは、印象的だった。しかし、私が気に留まったのは、このことではない。相撲には、十両の取り組みが終わった中入に、幕内土俵入りがある。それは、幕内力士が前頭から大関まで、順番に一列に入場して始める儀式である。入場してから、土俵下に座っている勝負審判に、皆一礼する。その際に、ほぼ全員が礼とともに手刀を切るように振舞う一連の動作でもって土俵に上がるのだが、宇良の作法はちがった。彼は、審判に先ず一礼をして、そこに留まる。しかも、形式的な一礼ではなく、身体をひねって顔を審判に向けて行っていた。そして、一呼吸おいて、今度は手刀を切り、再び一礼しながら土俵に上がるのである。この2つに分けた作法を、別の日に見ても同じように行っていた。また、一礼と手刀を切ることを一応分けている力士がいるにはいるが、宇良のようにはっきりと分けて、しかも、審判の方に顔を正面に向ける力士はいなかった。
私は、宇良に好感を持った。ずい分と昔に、横綱柏戸が一直線に、とにかく前に突進するという、その取り口が好きだったように。片や儀式に、こなた取り口に、双方とも一途さを感じたのである。宇良の作法は、上述したように礼と土俵に上がることとを分けている。一礼して留まったことは、礼に始まり礼に終わる柔道などを連想させた。もちろん、実際の取り組みで土俵に上がったときには、礼に始まるのだが、彼が土俵入りするときの作法は、礼を際立たせる効果があると思った。また、手刀を切るということは、相撲に勝って賞金をもらう際に行うことであり、勝利の神を敬い、感謝を表す意味があるそうだ。一礼することと、手刀を切りながら土俵に上がることに、どうも意味の違いがあるようで、彼のように分けることが本来のやり方ではないだろうかと改めて思った。彼がそのことを意識して行っているのかどうか、私にはわからない。もし、意識せずに行っているとしても、気持ちの込め方が他の力士とちがうように思う。いずれにせよ、儀式は重要である。そう、土俵入りの儀式を、前に倣え、というが如くに行っているのではないようであり、ここに拘っていたら、実際の彼の相撲を出来るだけ多く観たくなった。
気に留まった2つ目。相撲放送には、取り組みを解説する元力士が正面と向こう正面にいる。ある日のこと、向こう正面で解説していた、元関脇嘉風の中村親方が取り組みに関連して、自身のことを話し始めた。すなわち、親方は、大学で講義を受けているそうだ。そこで、「ご機嫌というものの価値について」学んでいるという。ご機嫌になるには、揺るがない、捕われない、自然体でいる、という条件があるそうな。自身が現役の時、力士として晩年になったにもかかわらず、上位で取る楽しみ、さらに上位を狙う楽しみがあった、まさに、ご機嫌になる3条件を満たしていたというような解説だった。条件が3つあるなどと話す彼に、学問の香りを確かに感じた。さらに派生して、相撲とは何か、そして、なぜ自分は相撲を取るのかなど、いくつものことに考えが及んでいるのではないか、と想像もする。そういえば、あらゆるものが学問の対象になる、と言ったのは私の知人である。
以上、取り組みからこぼれていることをテレビ中継で見聞きした。それにしても、力士の作法に好感を持ち、親方の解説に学問の香りがしたことなど、思いもよらない相撲観戦のひと時であった。