音のこと
ルプーのピアノ
2022年05月12日
ピアニストのラドゥ・ルプーが76歳の生涯を終えた。私が齢を重ねてこの歳になっても、それ以上の歳を数えた芸術家がまだまだ大勢いる。そして、彼らの訃報を知るたびに、私は、この目上の人たちの恩恵を受けてきたことを改めて思う。
今から四半世紀ほど前、私は向学心が芽生え、大学の科目等履修生となった。その当時助教授として大学におられた伊東信宏さんが、ルプーを悼んで新聞に寄稿していた。曰く、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したあと、すべてのオファーを断り、勉強を続けたいとあり、インタビューや放送を許さなかったと書かれている。また、追悼に放映されたテレビのテロップでは、録音をやめて、コンサートに専念したとあった。道理で、彼の音源は探しにくかったのである。
私の手元には、ルプーが演奏したシューベルト・即興曲がある。この1枚しかない音源を聴き直し、テレビの追悼番組で演じたブラームスのピアノ協奏曲第1番の終楽章も併せて聴いた。その奏でる音は、シューベルトであれ、ブラームスであれ、強い音も弱い音も連続的に、滑らかに、すなわちゴツゴツせずに時を刻んでいる。その音楽を生地に例えるとベルベットの肌触りだろうか。破綻をきたさないことは無論のこと、どこにも刺々しさはない。その結果、音の大きさや曲想が変わっても、安心して聴くことが出来て、心を乱されることがない。だからといって、淡々と弾いているわけではなく、音がいくつも重なっていることをわかりやすく解説してくれているが如くである。そういえば、評論家の吉田秀和さんが、他の誰も弾かないような息の長いクレッシェンド(だんだん強く)とデクレッシェンド(だんだん弱く)で表現している、というようなことを話していた。
久々に聴いたルプー。その音楽もさることながら、録音をやめて、コンサートに専念したことに想いが至る。録音機器のない昔ならいざ知らず、デジタル技術も発達しているいま、それらを拒んだとは、どういう心境の変化だったのだろうか。このルプーとは反対に、グレン・グールドは、コンサートをやめて、録音に専念した。その理由を彼は、コンサートで演奏している途中に、新たな芸術のひらめきがあっても、観客の手前、演奏を中止するわけにいかず、といって、そのひらめきを犠牲にしたくない、だからコンサートはやめたと話していたように思う。グールドのこの姿勢を、多くの演奏家は賛同こそすれ、追随はしないだろう。やはり、特異的なことだから。一方で、ルプーの選択はあり得るだろうと、私は肯定する。
私のように、紀州で暮らしていると、演奏会にはなかなか行くことができない。私はかつて、原音再生を求めて、家の中でも機械が作った音ではない、生に近い音を出す機器を手に入れた。そのおかげで、演奏会から遠ざかってはいても、楽しむことが出来ている。オーディオ機器を利用した再生芸術によって、手っ取り早く聴くことが出来る、何度でも聴くことが出来る、自由な時間に聴くことが出来る、と数え上げると意のままに音楽を鑑賞出来るのである。また、曲を順序だてて聴くのではなく、好きなところだけ選んで鑑賞することを、最近になって私が行っている。音楽は、奏でて消える宿命にあり、しかも、真剣勝負にも似た集中力を要する。そのような音楽を繰り返し聴かれてもたまらないと思う芸術家はいるだろうと想像する。
しかし、これらはあくまでも音楽愛好家の考えること、ルプーがどのような考えで、コンサートに専念するようになったのかは、わからない。ここで思い出すのは、末期癌など治癒の見込みがなくなった患者さんを診ている徳永進医師の言葉である。彼は、死を前にすると、ほとんどの患者さんが言葉では表せない孤独感があるようだ、と話している。この孤独感という言葉を簡単には共有できないものの、私の「浅慮」は、この言葉を芸術活動することとつなげてしまう。すなわち、コンサートに専念したということから、創造性と限りある時間ということとが関連して頭に浮かんだのである。
以上がルプーの訃報から想ったことである。改めて、数少ない演奏記録しか残さずに逝ったルプーのシューベルトを、我が家で聴くことが出来ることをうれしく思う。