小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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時世の粧い

病後に思ったこと

2013年12月09日

患者さんからしばしば、「病気しませんね」と言われて、不思議がられることがある。診察室で仕事するときは、概ね元気なものだから、そのように思われてしまうのかも知れない。実際、一般的に医院で働いている医療関係者は、感染症には強いようだ。その理由は、おそらく、風邪を始めとした病気に罹っている人と常に接しているから、「自然のワクチン」を受けている状態だからなのだろう。それでも、時には病気をする。

先日、久しぶりに胃腸風邪に罹ってしまった。気分は悪いし、お腹は痛いし、丸一日何も食べられなかった。食べられなくてエネルギーがないから、夕方横になったら、知らない間に2,3時間眠ってしまった。起きてから、体重を測ったら2キロ減っていた。それでも、性分だろうか、あれこれと身の回りのことを片付けていた。しかし、やはり体力がなくて、また眠たくなった。本当に良く寝られるものだ、と思った。

翌朝起きたとき、足元がふらついた。少しは食べられるかな、と恐る恐るお粥を一杯食べた。食べてしばらくしたときのことである。新聞をつかむ指先が、しっかりとしているのである。歩いたら歩いたで、足の筋肉の存在を感じる、という風に、体中に力がみなぎってきたことに気づいた。食べることのありがたみを感じた瞬間だった。改めて、動物は生きるために食べるのだ、ということがよくわかった。その日は一日、炭水化物を中心にして食べた。そして夜になって、お腹の調子が徐々に改善してきた。

そのまた翌朝、今度は卵とハムを加えてみた。油をフライパンに敷き、ハムを炒めて、卵をかき混ぜた。単純な煎り卵なのだけれど、おいしくて、かみ締めながら食べた。前日は、生きるために食べるのだ、ということを再確認した。そして、この日は、食事のおいしさに感謝したい気持ちになった。

よく思い返してみると、普段の食事は、習慣化してしまっている。しかも半ば義務的に済ませてしまうことがある。食事に限らず、何気なく過ごす日常に埋もれてしまっている大切なことが多いのではないか、と思った。今回は、思わぬ胃腸風邪に罹ったことで、食事のおいしさ、大切さを再発見したのであるが、今になっても、卵を見るたび、ハムを見るたび、珠玉のようないとしささえ覚えるのである。

そういえば、何かの雑誌に、多くの妻は、夫を完全無欠な存在であると信じている節がある、と書いていたことを目にしたことがある。私の身の周りでも、学校時代の同級生が同じようなことを言っていた。仕事で疲労困憊して帰ってきたとき、つい出てしまった「疲れた」の言葉に、「仕事だから当然でしょ」という返事が返って、立ち上がる気力も失せてしまった、とのことである。妻にとっては、夫は手入れの要らないロボットのように思えるらしい。

人間は生き物だから壊れることがある。今回のように身体が壊れることを体験すると、おいしく食べられてありがたい、というように、普段見えないことが見えてくる。完全無欠でいることが当たり前ではなく、無事に存在すること自体がありがたいのである。