小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

たり、とか、なので

2014年02月02日

テレビを見ていて、発言する人たちの言葉づかいがずっと気になっている。

何々だったり、と「たり」をよく使っている。しかも、一つのことが続くことを表わすために使っているのに、一度だけしか発しない。これは、「・・・たり、・・・たり」という形で、動作の平行・継起することを表わす、と辞書にも書いているように、並べて使うのではないかしら。ただし、辞書には、「泣いたりしてはダメ」というように、同じことがあるのを暗示する時に用いる、とあって、必ずしも並べて使うだけではないようだ。しかし、本当によく使っている。

「たり」と同じくらい耳にする言葉に「とか」がある。しかも、同じく一度だけの使い方だ。こちらも並べることが本来だと思い、やはり辞書を引いてみた。そうしたら、例示する事項に一々「とか」を付けるのが本来の使い方、ときちんと書かれていた。しかし、一つの物事だけを挙げ、他を略して言う近年の用法、とも書かれていた。近年の用法なのか、と改めて思った。

私は、あまりに多用しているから、いつの頃からか、テレビを見るたびに、この二つを意識するようになった。ひどい(?)ときには、「・・・だったりとか」と同時に二つを使っている。

もう一つ、「なので」という接続詞。これはいつから使うようになったのだろうか。それなのに、それなので、なので、という変遷を経たのか?時々見るNHKの23時半からのニュースウェブで、若い解説委員が、なので、を5回使っていた。つい数えてしまう。

10年以上前になるだろうか、若者が使っていた「いまいち」という言葉が定着して、広辞苑にも載るようになった。言葉は世につれる、と思っているので、還暦過ぎた身には、抵抗があるものの、仕方のないことだと思っていた。そんな中で昨年秋、台風に直撃された東京都大島の人たちが、テレビでインタビューを受けている様子を聞いていて、懐かしく感じたのだ。「たり」も「とか」も使っていなかったからである。私は、きれいな言葉とかを使ったりしている、と思った。なので、こうして綴りたくなった。