時世の粧い
シトロエンGSと今
2014年08月17日
最近のクルマは、ドアノブに触れるだけで解錠出来ることなど、テクノロジーの進化の恩恵を十分に受けた装置が満載されている。安全性への配慮も進んでいるから、クルマだけは古いものに逆行できないと思っている。それでも、かつて数年間駆っていたシトロエンGSのことをふと思い出し、もう一度手にしたいと思うこの頃である。シトロエンGSとは、何だったのか、そして、私に何をもたらしてくれたのだろうか、ということを振り返って考えてみた。
GSを動かすには、先ずチョークを引くことが要り、イグニッションキーを捻るのはそれからだ。高めの音が交錯してエンジンが目覚め、程なくしてクルマの高さが運転レベルに上がる。上がってからおもむろにギアを入れる。これがハイドロニューマチック・サスペンションを備えたシトロエン一族の古参、GSの始動風景である。
GSには包み込まれるようなシートが在る。これに、窒素ガスと油を用いたサスペンションとが相俟って、どこにもない乗り心地となる。フワフワとしているのに接地感がある、という矛盾した乗り心地だ。しかし、思い切った加速は出来ないし、パワーアシストのないハンドルだから、動き始めは、愚鈍という言葉が似つかわしい。その上、暖まるまでエンジンは不機嫌なのだ。
それでも、しばらく走ると至福の時が用意される。道路の段差などは見事に吸収してしまい、新たに舗装したのではないか、と錯覚するくらい身体が揺れない。揺れると身構えるが、身構えない分、身体に余裕が出来て、心は悠然とする。クルマの流れが遅くなっても、気持ちはあせらず、そのペースに合ってしまう。それは、我が家で椅子に座って、音楽を聴いたり本を読んだりしてくつろいでいることに似ていて、他のクルマにはない生活感がある。通常のクルマのサスペンションは、金属とショックアブソーバーで作られていて、今に至るまで、GSの乗り心地を凌駕するクルマを私は知らない。ショックアブソーバーには経年変化があるのだが、GSは窒素ガスを定期的に充填すれば、いつまでも新車の乗り心地が保たれる。少し前にシトロエンでは、GSのサスペンションに替わるコンピュータ制御されたハイドラクティブ・サスペンションとなった。しかし、残念ながらGSに備わった乗り心地とは異なるものだった。もう、この世であの乗り心地はなくなってしまったのだ。
ルイ・マルの名作、「恋人たち」の中で、女性が運転するクルマが故障した。この女性は先を急いでいるから、通りかかったシトロエンを運転していた男性に乗せてもらう。女性を横に乗せた男性は、彼女の気持ちなどお構いなく、ゆっくりと運転し、寄り道までして、「風のようには立ち去れない」という。このシーンに、GS経験者の私は共感を覚える。
世の中の進歩に伴って、クルマに関わる工業化も進んだ。先に述べた解錠装置を始めとして、今のクルマは、安全性を追求した衝突回避装置まで備え、一方では環境にも配慮している。その恩恵を我々は十分受けている。しかし、GSの乗り心地をなくしてしまう進化とは何か、ということを考えていると、いくつか思い当たることがある。患者さんから時々耳にする、最近の医者は、私の身体を触ってくれなくて、検査データや画像ばかりみている、という話。この話を他山の石として今も精進しているつもりだが、詳細なデータの方に説得力があることは確かだ。ここで、視診、触診、聴診の大事さは言うまでもないが、診断には、医者の眼、手、耳とデータとを組み合わせる強い頭が要ると思うのだ。と、いうようなことは医者には当然備わっていることなのに、わざわざ記さなければならない現況が問題だ。これは、生活の周りが細分化されていくという現代が生んだ問題のうちの一つだと思う。あがいたところで、GSへの回帰はできない世の中の仕組みだ。
「恋人たち」の一シーンを演出する、ゆっくり、フワフワ、というクルマはなくなった。それでも私は、工業化によって進んだクルマに、GSの乗り心地を共存させたクルマを作って欲しいなあ、と夢を見ている。
(CG458号投稿、大幅加筆修正す)