小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

生駒先生、和田先生の想い出                     ーよもやま懇話会の始まりものがたりー

2021年04月01日

昨年、紀南医師会の重鎮、和田安司先生と生駒一徹先生が相次いで亡くなられた。すでに三重医報に、山本訓生先生と原田資先生が各々追悼文を、そして、昨年の紀南医報には、谷口智行先生が和田先生への追悼文を仔細に書かれた。私は、亡くなられたお二人と音楽を通じてお付き合いいただいたことがある。その中に逸聞があり、それは取りも直さず、よもやま懇話会を結成することにつながったと思うので、追而書として紹介したい。

今から20年以上前のこと、医師会の懇親会の席で、生駒先生に乞われてクラシック音楽のことを雑談風に何度かお話ししたことがあった。その後、先生から、和田先生も音楽がお好きなので音楽鑑賞会をやりませんか、というお誘いを受けて集まることになった。どういうわけか、音源を私が決めることになったため、私の部屋にお二人をお招きしたのである。

お聴かせした曲は多岐にわたった。ドビュッシー「管弦楽のための映像」、ベートーヴェン交響曲第9番の終楽章、ワーグナーの楽劇からいくつかの前奏曲、カミーユ・モラーヌが歌ったフォーレの歌曲、ウィンナワルツから「ウィーン気質」等など。私は、これらの曲を選んだ理由を、例えば、指揮者が意図する速度が端的に表れた演奏とわかるから、あるいは、打楽器を強調することで曲の始まりのリズムを意識させられるからなど、聴き始める前か、聴き終えた後かはすっかり忘れてしまったが、すべての曲それぞれについて、がんばって説明させていただいた。

生駒先生は、概して、曲を聴けば聴くほど沈潜する傾向になられた。そのお姿を拝見していると、黙して音楽にまつわることに対峙することを楽しんでおられるのではないかと思う反面、私の曲の選択が先生の好みに合わず、途中で切り上げたほうが良いのではないかと思うこともあった。もう一方、和田先生は興味を持たれた曲に対しては、即座に「ええですな」とおっしゃった。当たり前のことながら、これらの音楽を、すべて私と同じように好まれたわけではなかった。それでも、フランス音楽は気に入られたご様子で、後日、CDを求められたと聞いた。

このような鑑賞会で、お二人が十分満足されたのかどうか、私ががんばって選んだ曲が本当によかったのかどうか、今もまだよくわからない。あれこれと聴き終えてからは、お二人は、本当に楽しそうに話しておられた。とにかく話題が豊富で、それこそ、音楽だけではなく、よもやま話をされる機会を設けたかったのではないかと、一瞬思った。そして、この会には、一度は生前元気だった父に加わってもらったこともあった。今思うと、あの頃のお二人は、私のいまの年齢か、もう少し重ねたくらいのお歳だった。

ところで、現下の私の聴き方は、特に聴きたいと思う部分を演奏者がどう奏でていたかを確認する「作業」と化している。もう、昔と違って、滅多なことで聴き通すことをしなくなっているのである。当時のお二人と同じような年齢となった今、その頃を回想すると、年齢を重ねたお二人にどんな音楽を好まれるかをお聞きすることなく、ただただ、私好みの曲を長時間押し付けてしまった気がする。今さら悔いても仕方がないが、長く聴くにはエネルギーが要ることに、当時はまったく考慮しなかった。残念ながら、お聴きして疲れませんでしたかと、お尋ねする由ももうなくなった。

以上のような具合の鑑賞会を経たのち、お二人から今度は、紀南医師会の中にボキャブラリーを共有できる人たちを集めて、語る会を持ちませんかと提案された。これを私にお申し越しされたということは、鑑賞会にある程度の良い印象をお持ちだったのだろう。このご提案は、年余にわたり何度かあったが、元来私は、人を集めたり、会の内容を企画したりすることは苦手であったので、いつもグズグズとして、返事を濁していた。

そんな折、ありがたくも大谷英行先生が生駒先生からのお申し越しに応えて下さったのである。大谷先生は、会の幹事役として振舞われ、谷口先生がメンバーを調整され、よもやま懇話会がスタートした。当初は、生駒先生と和田先生を囲む会と命名し、第1回と第2回を拙宅で開いた。写真は、第2回に集まったメンバーである。

よもやま話110611-3

左から原田先生、和田先生、生駒先生、大谷先生、私。撮影は谷口先生。(2011/06/11)

その後、会は一人一人が演題を決めて発表することになった。俳句、三島由紀夫や庄司薫のこと、田んぼや正月を題材にした日本の四季の話、地域医療のことなど、その話題は、音楽を超えて拡がっている。そして、話題とともに多くのメンバーが集まってきているのである。始めは会の企画を逡巡していた私であったが、今はこの会が出来たことを良かったと思う。

昨今のコロナ禍などのことがあって、先生が亡くなられた際には、お焼香もままならず、お別れは不十分だった。ここで、先生の投げかけて下さったよもやま懇話会を引き継がせていただけたことに深謝し、拙文をお二人に捧げて、謹んで哀悼の詞に代えさせていただく。

(2021紀南医報)