診療の中で
共存すること
2022年06月02日
コロナ禍による行動制限が2年余続き、私の医院でも、診療の体制が様変わりした。当初、感染していると思われる患者さんを2番目の診察室で診察して、患者さんの出入りを、玄関とは別にしていた。そうこうしているうちに、市内でもコロナ感染症が発生し、診察は、建物内ではなく、駐車場で行うようにした。いまは、主に駐車場と別の出入り口との狭い通路で診察を行っている。
私は、小児の感染症定点観測地点として、週ごとにいくつかの感染症を報告している。驚くことに、コロナ禍のなか、インフルエンザを発症する患者さんがいなくなってしまったのである。私の医院だけではなく、三重県全体でも、全国でも、1週間に数名も発症しなくなった。インフルエンザは、毎年国民の大多数がワクチンを接種しているにもかかわらず、発症数はほとんど変わりなく推移し、確か全国で毎年数百万人が罹っていた。それが、このコロナ禍とともに、激減してしまったのである。そして、それは日本だけではなく、海外でも同じようなことがあり、北半球も南半球も激減してしまった。また、インフルエンザに限らず、こどもが罹りやすい第五類感染症も、当院では減ってしまった。
これには、ほとんどの人がマスクをつけて、飛沫を拡散させていないこと、アルコールによる手指消毒していること、そして、人同士の接触をなるべく避けることなどが奏効したのだと推測されている。また、渡航が制限されて、南半球の寒い時期にただでさえ少ないウイルスを持ち込むことが更に少なくなったとも言われている。これらいくつかの要因が重なって、感染する機会が減ったと思われる。それにしても、これほどの変化があるのに、あまり大きな報道がなされていない。いや、私がその情報を得ていないのかも知れないが、とにかく、感染状況、すなわち人と微生物との関係に大きな変動があるのである。
さて、コロナ感染症を蔓延させないよう振る舞って、結果的に多くの感染症を激減させたのだと思う一方で、小児を診てきた経験上、感染する機会が少ないまま成長するこどもたちに危惧を抱いている。それは、こどもは主に風邪にかかることを繰り返しながら、免疫をつけているからである。特に幼稚園や保育所に通うこどもたちは、そうでないこどもたちに比べると、感染の機会が多い。そんな感染をよく繰り返したこどもたちが成人になると、ある種の感染症にかかりにくいという成績があることを聞いている。私事であるが、私がまだ勤務医だった頃、年中風邪を引いていた。久しぶりに電話をくれた知人が、私の鼻声を聞いて、また引いているのか、と言ったくらい繰り返していた。ところが、医院で毎日のように風邪にかかった患者さんを診察しているうちに、私は免疫をつけたようで、とんと風邪症状とは無縁の身体になった。いわゆる「自然のワクチン」を毎日打っているような状態が続いているのだと思う。つまり、こどもも私も、微生物と共存してこその免疫力の強化があるのである。
上述したように、世界中で主にインフルエンザに感染する機会が激減してしまい、これからどのような未来があるのか、想像がつかない。しかし、激減したと思ったら、目下南半球のオーストラリアでインフルエンザが増えているという。このことが、人と微生物との元々の関係に戻るのか、あるいは、新たな感染様式に立ち向かわなければならないのか、私には見当がつかない。無論、生活するうえでマスクを外すことにもなるだろうし、畏れと楽観が混在しているいまである。「自然のワクチン」が減ってからは、どちらかというと、感染に対しての畏れを抱く方が私には強い。しかし、これまでの歴史をひも解くと、幾多の感染症を克服し、淘汰されてきたのであり、コロナ後は新たな共存する世界に入るのかも知れない。
ドヴォルザークが作曲した「新世界」は、アメリカ滞在中にアメリカの精神に触れたことから作られたときく。微生物と共存する私たちに、コロナ後この新たな微生物を前にして、確かな歴史を作る息吹をちょっぴりと感じるこの頃である。
ある看取り
2021年08月15日
毎年、お盆には初盆を迎える家にお参りする。今年は、コロナ禍であるため、遠慮したお家もあり、合掌も短い時間で終えるよう心掛けた。それでも、私が知っている故人のエピソードをご遺族に伝えることもあり、やや長居をしてしまったこともあった。患者さんの過去についての思い出は多くあり、話し始めると、昔のことが次々と甦ってくる。思えば、これまでずい分と多くのひとの最期を看取ったものである。そんないくつもの思い出の中から、心に残っている一つを紹介したい。
今は昔となったずっと前のことである。去り逝かんとするひとに、最期を迎える日が迫ったある時のこと、彼の家族は、ピアノをベッドサイドに移し、そのピアノの前に娘が座って、曲を次々と弾き始めた。20分、あるいは30分も弾いただろうか。一通りの曲を弾き終えて、娘が手を休め、一瞬静寂が訪れた時のことだ。床からピアノをじっと見つめていたそのひとは、眼を大きく開き、息をハッと吐いたのである。病に倒れたそのひとは、若い頃から晩年まで、余暇にピアノを弾き、晩酌をしては好きな曲に興じる日々を過ごしていた。そんな趣味人であるそのひとにとって、命の最期に聴く娘のピアノは格別だっただろうと思った。演奏に没頭した娘は、後年父のその表情を見なかったことを後悔したという。
逝く人と残される人の最期の場に出会うことは、私がこの仕事に就いた意義のようなものを毎度抱かせる。すなわち、残される人の逝く人に対する一挙手一投足に、逝く人の生き方が投影されているようであり、世代を超えた人の振る舞いの奥深さを垣間見ることの出来るありがたさを感じるのである。それにしても、逝く人の思いをすべて受け取るには、残された時間があまりに短い。
さて、件の娘は私の妹である。妹のピアノ演奏は、私たちの父親を看取ったときのことであった。つい、私事を記して追憶に浸ってしまったが、父に対しては、単に患者としての短い出会いの時間ではなく、その生活をくまなく知っていたから、最期の出来事への思いも特別だった気がする。それは、今回お参りに伺ったご遺族にとっても、そうであったに違いない。
産業医活動
2021年03月15日
過ぎに過ぐる産業医活動、と枕草子を拝借して近ごろ経験した有り体の事柄を記す。
私は、産業医として、いくつかの職場で過重労働となった労働者に対して面接指導を行っている。その過重労働は、過重な業務負荷によって、血管病変などが自然の経過を超えて著しく増悪し、脳血管障害や心疾患の発症を誘発するものであり、ひいては過労死等が多発する事態になる。平成26年に、過労死等防止対策推進法が成立したことを機に、職場での過重労働対策が課題となり、産業医が関わることとなった。また、この数年、産業医研修会でもこのことを取り上げることが多くなった。
過重労働となった労働者に面接指導を行ったからと言って、それぞれの職場の事情があり、簡単に労働時間を含めた環境を改善出来るものではない。ところが、先日ある職場の上司から、私の面接指導を受けた労働者が努めて労働時間を短縮させていると聞いた。このことは、面接指導を続けていて、初めて聞くことであった。この労働者はまだ20代と若い。一般に、若い人ほど身体に不自由を感じることはなく、少々労働時間が延びたからと言って、過重労働が誘発する病気が自分に降りかかることはないと思っているのではないか。そのことは、実際に若い人が発症した事例を示しつつ指導をしていて、しばしば感じることであった。そんな中で、働き方を変えようとしていることを私は嬉しく思い、今後も活動を続けようと励みになった出来事であった。
さて、コロナ禍のなか、昨年の夏は、小児の手足口病、ヘルパンギーナなどの感染症が激減した。また、9月頃より流行し始めるインフルエンザも激減、三重県感染症発生動向調査をみても、例年年末年始にかけて大流行していたのに、今年は桑名市、伊勢市などで数名が発生したという報告に留まっている。2月22日以降は、一人のインフルエンザも報告されていない。南半球でも昨年は、インフルエンザが流行しなかったと聞いた。これらの病原微生物は、鳴りを潜めているのだろうか。おそらくそうだろう。これまで、インフルエンザワクチンを大人数に接種していても決して減らなかった発症数の激減ぶりに、臨床医としての驚きは大きい。この現象には、遠出を避ける、マスクを着用する、外国との交流が減った等など、いくつか理由があるとは思うのだが、私は、感染症が減ったと手放しで喜べないでいる。
生き物である人間は、微生物と共生している。その仕組みは様々にあり、例えば人間の腸にある大腸菌は、菌が妊婦の腸管に刺激を与えることによって、出生後の子どものさまざまな生理機能に関わるなど、未だに新たな共生の知見が発表されている。また、人間の周りには、病原微生物も多数あり、時に感染して発病に至る。発病後は、身体の蛋白質や白血球細胞が動員される。そして、感染を繰り返すことによって、身体を防御したり、微生物を攻撃したりすることになるのである。しかし、コロナ禍のいま、全国、いや世界中で感染症が少なくなっていて、このような身体の機構が休息状態にあることが想像される。そうなると、今後新型コロナウイルス感染が収束されたあかつきには、他の感染症に対して無防備とまではいえなくても、感染しやすい身体になってしまっているのではないかと思うのである。特に身体の機構が脆弱な小児について、心配は尽きない。
新型コロナウイルス感染症が世界的に蔓延している昨今、産業医としても、職場での会議でコロナ禍について触れている。すなわち、微生物と共生しているこれまでの仕事環境もガラリと変わる可能性があると私は推測していて、目下、働く人たちに注意喚起をしているところである。
冒頭で拝借した枕草子には、過ぎ過ぐるものとして、人の年齢や四季をあげている。私は、若い労働者が身体を顧みたこと、微生物との共生の変化、これらも時の在り方のうちと思ったことから、活動の一端を披露した。
産業医の発言
2021年02月10日
産業医の職務は、健康診断結果に基づく措置、長時間労働した場合の面接指導、作業環境の維持管理、衛生教育などを行い、働く人の健康管理を担うことにある。これらに加えて、より適切な管理を行うため、職場巡視をして、さらに、衛生委員会に参加する。私は、いくつかの職場でこの役割を担っている。最近になって、ある職場で、あるエピソードがあった。
衛生委員会は、事業所から生じる安全や衛生問題などを討論する場であり、私が出席する際には、その都度、産業医としての意見を述べている。そのほとんどを、会議の終わりに総括する形で締めくくる。ある職場で会議を行ったときのことである。いつものことながら、事前に最近問題となっている事柄をまとめて会議に臨み、さらに、会議の途中で気になったことを書きとめて、最後に発言する用意をしていた。しかし、進行役は、私にコメントを求めることなく会議を終わらせた。追加発言すればよかったのであるが、喫緊の問題でもないし、何だか差し出がましさを感じたから何も言わなかった。次も、その次も同じような具合で会議が終わった。
私は、この調子だと産業医が会議に出席する必要がないと思ったので、終わりのあいさつ(実に、始まりと終わりに起立してあいさつを唱和するのである)をする前に、進行役にひと言を発した。私に会議についての意見を求めないのなら、今後この会議に出席しなくてもよいのでは、と皆の前で言ったのである。その後、責任者と三者で話し合い、毎度発言の機会を設ける旨を申し合わせた。
次に訪問した時、会議の事項書をみると、責任者のあいさつの次に産業医あいさつと書かれていた。書かれているのだから、はっきりとして良いと思ったものの、私と責任者のあいさつを並べるのは仰々しいと思ったのである。また、会議を産業医として総括することのほかに、冒頭にあいさつすることを設けてもらうと、発言する機会が多くなり過ぎて、活発な意見交換が出来るだろうか。そんなことを打ち合わせた結果、他の職場と同じように、会議の終わりにコメントを求められて意見を述べるということとなった。
こんなちっぽけなことを取り上げたのは、何か事が運ぶ際に、そのこと自体が形を整えるだけで、中身を掘り下げることなく有名無実化しているのではないかと危惧したからである。会議でいえば、進行して形だけ終われば良くて、本来の趣旨を疎かにしている。まさに形骸化していると思うのである。私は、冒頭に記した産業医の職務を実行するために、ある緊張感を抱きながら発言している。すなわち、その都度真剣勝負にも似て臨んでいるのである。ところが、件の職場で体験した進行具合は、私に付け入る「隙」を見せなかった。
このような会議のエピソードを教訓にすると、周りに同じようなことが多く見つかると思った。職場を活性化させることは悪いことではない。しかし、本来あるべき活性化を形骸化が阻んでいると改めて思う。周りだけではなく、私が担っている職場も、私の医院も、何か滞ったことがないかと、見直してみようという気になった。どんな組織も制度化されてしばらく経つと、旧くなるものである。陳腐化するに任せるのではなく、魂を入れれば、それに見合う効用があると思った。
肘内障
2020年10月12日
小児には、入院治療を必要とする病気から、医院で治療できる病気まで様々にあることは言うまでもない。その中で、川崎病は、発熱、頸部のリンパ節腫脹、眼の充血などを主症状とする症候群で、のちに心臓血管に冠動脈瘤を生じさせることがあるため、出来るだけ早いうちから治療を行わなければならない。私のような開業医の立場では、疑いを持てば症状が出揃う前から病院に紹介することが肝要である。
また、肘の靭帯から骨がはずれかかる肘内障にしばしば遭遇する。主に、手を引っ張られたことにより発症し、子どもは痛がって腕を動かさなくなる。しかし、治療、すなわち整復をすると、泣きわめいていたのが急に穏やかになり、その場で遊び始め、治ったことがはっきりとわかるのである。肘内障は、川崎病とは違って、開業医が診断し治療することが出来て、しかも、すぐさま治る病気である。
この2つの病気を診断することに共通しているのは、開業医としての役目を果たしたという充実感が殊の外強いということである。前者の川崎病は、診断が手遅れになると不利益が測り知れなくなる。そのため、診断に臨む際の「緊張」が、病院から返事をもらった後の「弛緩」へ変わるという殊更得がたい経験を持つことになるのである。後者の肘内障では、症状が急激に消失し、もとの元気な姿を目の当たりにする。その痛みも何もなく普通に遊んでいることが愛おしく感じ、まるで、珠玉のひと時が診察室に用意されるが如くである。
さて、その肘内障を近ごろ治療してから、ある想念が浮かんだ。それは、古希を迎えた開業医には、どのような仕事が相応しいかということを際立たせようと思ったのである。思えば私は、仕事を徐々に縮小させてきた。すなわち、病院に治療を委ねることが早くなり、しかも多くなったように思う。開業当初は、心不全を起こした患者さんを往診しながら治療した。それは、開業する直前まで勤務していた病院で行っていたことを、場所を違えて行ったに過ぎなかった。しかし、私が昼も夜も仕事をする体力がなくなったことなどを理由として、早めに病院に紹介するようになったのである。それは、適材適所ということなのだろうと思う。おそらく、これは年を取るにしたがって重みを増す言葉にちがいない。
肘内障を患った子どもの元気になった姿に象徴される診療の在り方が今の私に相応しいとつくづく思う。診療に気を抜ける疾患などない。しかし、一人が何もかも診療できるわけではないことは自明のことである。確実に年を重ねるなかで、改めて領分をわきまえたいと思う次第である。
希望するもの、抗体検査と発熱外来
2020年04月24日
新型コロナウイルスによる感染について、日々情報が多く出されている。
4/24にインターネットで知ったことである。ニューヨーク市の住民を無作為で選んだ人を対象に新型コロナウイルスに対する抗体検査を行った結果、21.2%の人が抗体を持っていたらしい。これが事実だとすると、新型コロナによる感染致死率が0.5%に低下するとのこと。これは、予想を超えて感染した人が多く、しかも治っていたということであり、おそらく、症状のない不顕性感染も含まれていると思われる。
この新型コロナウイルスに対する抗体が、麻疹に罹って獲得するような終生免疫となるのか、あるいは、インフルエンザのように一定期間免疫を有することになるのかが、気になるところであり、今後迅速に研究されることを願っている。
日本でも、この抗体検査を国民すべてが行えるような施策を望む。それと同時に、各地に、発熱専門外来を作ってもらい、誰もが遠慮なく診察できるような体制を願う。ここは、発熱者が隔離されて個別で診察を受けることができて、新型コロナのPCR検査も受けられて、感染が判明すれば、すぐに治療を始める準備ができることが望ましい。今は、感染を恐れて受診を控える患者さんが多いし、もし医療機関で新型コロナの感染者が判明したら、感染濃厚接触者とされて、診療が当分の間できなくなるという状況では十分な診療ができない。
正しく恐れる
2020年04月24日
テレビで、バッハ作曲、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番を聴いていたときのことである。途中で、ついさっきまで見ていた、新型コロナウイルス感染症のニュースが浮かんできて、そういえば、医師会から医療機関がどのように対応するかの指針が毎日のように届いていることを思い出した。
以上のように記したのは2月のこと。それからの2か月、新型コロナウイルス感染の急な拡大は周知の事実である。多くの専門家が記しているように、数日も経たないうちに、書いたことが古くなってしまうほど病気の蔓延が早い。感染者数は、急激な上昇カーブをえがいて増加している。皆が病気の感染を身近に感じて、恐怖を抱く状態が続いている。そんな中、4月中旬の三重県知事の会見で、患者の家に石が投げ込まれたり、壁に落書きされたりする被害があると発表していた。危機に際して、人間の嫌な面が出た典型的なことである。私は、この危機を抱く感情を和らげるのは、医療者の務めであることは当然のこととして、何とかならないだろうかと考えていた。これは感染症に対して忌み嫌うという感情そのもので、それは、過去にハンセン病に対する差別、今もあるインフルエンザに抱く感情につながるものである。ウイルス、細菌という微生物が相手であり、なかなか正しい知識を得ることができないことも拍車をかけていると思うのである。私は、そんなことを踏まえて、新型コロナウイルス感染症とも関連する肺炎を、その死亡率について改めて調べてみた。そして、新型コロナと比較するために、インフルエンザの動向も併せて、厚生労働省の人口動態統計をみてみた。
肺炎の死亡率は、3位から5位と高い。2018年には94,654人が、その2年前の2016年には119,300人が死亡している。年齢階級別では、60代が人口10万対で21.0、それより高年齢ではさらに高くなり、数字の上では低い若年齢層も含めて、すべての年代にわたって死亡者がいる。また、2018年にインフルエンザで死亡した人は、3325人に上っていて、さらに2019年1月には1か月で1685人が死亡し、一日平均54人が亡くなった計算である。
さて、新型コロナウイルスによる死亡数は、目下300人に達して、感染者数も12,000人を超えた。この死亡数を感染者数で割ると、2.4%となる。一方、例年インフルエンザに罹る人は、1000万人を超えていて、死亡した3325人を感染者数で割ると、0.03%である。また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡という概念があり、日本では死亡数が1万人と推計されている。超過死亡で計算しても0.1%であり、死亡した割合は、新型コロナのほうが多く、このことが治療薬もないことと相まって、今の恐れにつながっているのではないだろうかと推測する。ただ、インフルエンザで死亡する人が毎日54人いたという事実は、メディアによる報道がないことから、恐れられていない。いや、話題に上っていない。これら、片手落ちのようなこともあって、いまは正しく恐れるのではなく、いわば偏った恐れになっていると思うのである。
件の三重県知事の会見で明らかになった、心ない振る舞いをした人は、肺炎の死亡数やインフルエンザの死亡数を知っているだろうか。もし、この大きな数字を知ったときに、同じ振る舞いをするだろうか。私は、メディアを始めとしたアナウンスの難しさを思う。限られた時間の中で、何もかもを報道できるわけではない。しかし、平時にはおそらくおとなしくて、攻撃性もなさそうな人が、危機に際して憎しみをぶつけてくるというのも、今のメディア環境と関連がないわけではないと思うのである。
2月に聴いたパルティータは、終曲にシャコンヌが用意されている。その巨大さは群を抜いている。もともと低音が鳴らないヴァイオリンであるのに、オーケストラを思わせるように音が拡がり、重なる。長い曲を奏でる演奏家の一所懸命さが伝わる一方で、バッハ自身は泰然自若としているが如くの内容なのである。曲の終わりには冒頭のメロディが再現され、宇宙の下で衆生は輪廻しているということが思い浮かぶ終曲でもある。
バッハの曲は、地球だけではなく宇宙全体を鳥瞰するような気分にさせられる。今の危機を宇宙の中に相対し、診察室で診療にあたりたいと思う。ひいては、憎しみを和らげられることを念じながら。
風邪と診断する
2019年08月25日
この夏も、小児を中心に手足口病が流行した。ある患者さんの保護者が、インターネットで調べたところ、手足口病ではないかと思い、診察に来たと言っていた。子どもの手足には、典型的な発疹があり、私は追認して、これからの過ごし方を話したところ、ネットに書いていましたと、すでに対処方法も知っていたようだった。もしかしたら、私の知識より多いと思えるような保護者の話しぶりであった。私はかねがね、患者さんに知識が増えることは、病気を介在とした医者、患者の在り方を考えるきっかけになることがあり、どちらかというと好ましいことであると思っていた。そして、私の開業年数を重ねるにつれて、徐々にそのようになってきている。
話しが変わり、いささか旧聞に属するが、福島第一原発が震災にあった直後から、事故に対応するため、東京電力本店と現場とでテレビ会議を行っていた。その会議の記録をAI(人工知能)で分析したところ、現場で指揮をした故吉田所長が徐々に極限の疲労状態に達していたことが判明したという。AIによって、日本語の自然言語処理を施したらしいが、仔細は『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』に書かれている。どうも、AIは感情や心の動きがわかる段階になっているようなのである。また、医療の分野でも、MRIなどの画像や細胞の診断に活用されつつあると聞く。すでにAIが医者に取って代わり、医者の存在感を少なくしている。これは医者の存亡の危機なのではないかしら。
それはともかくとして、インターネットやAIが日々の診療に関わってきているいま、この効用に期待が大きくなる反面、冒頭に触れたことを始めとして、医者、患者の在り方がもっと変わることが予想される。医学知識が医者だけのものではなく、広く情報を共有していることに、医者は心しなければならないと思うのである。そして、拡がる情報を仕入れるなどして、これまでより柔軟な考えを持たなければならないとも思う。しかし、私は患者さんが知識を持つことに今でも肯定的であることは変わらないのに、どうにも居心地の悪い昨今なのである。すなわち、診察室にいて、科学の進歩の速さが、人間関係にどのように及ぼすのかがわからないのである。いや、AIは医者、患者の在り方が変わったとしても、人と人との間にある機微に、最後まで触れることが出来ないのではないかと思うのである。たとえば、患者さんがAIと話して、心から安心できて、頼もしさや温かさを感じるかどうか。ここにまでAIが至ると、もう医者は不要となる。
世の中が、AIによって一変してしまいそうなことに異議申し立てしたいものの、たった一人では何も出来ない。そういえば、心理学者の河合隼雄が、のどが痛く、咳が出て、鼻水が出た、それを医者に風邪だと診断されることが大事であると、著作中に書いていた。患者さんは、今でいうAIに支配されてはならないということをふた昔以上前に河合隼雄が警告したのではないかと勝手に解釈している。いや、大事なことと思うのだが。
以下は蛇足である。
ある日、肝硬変症に罹った患者さんが下腿に浮腫を生じたため、私は、肝硬変症と下腿浮腫と病名をつけて、利尿剤を処方した。しかし、利尿剤の適応病名である「肝性浮腫」と書かなかったため、診療報酬を請求した際に戻された。何と杓子定規な、と抵抗したところで何の打開も出来ない。これなど、AIに任せてみてみたら、どう判断するだろうかと夢想した。AIのある世の中で、重みがあるものを探すという楽しみはある。
打診、聴診
2019年06月10日
私が臨床経験を積み始めた20代のことである。運よく恩人と言える医師に遭遇した。その医師は、理学所見、つまり患者さんを視て、触って、聴いて得られる情報を殊の外重視した。私にとって、その診察する姿をみることが何よりの臨床教育であった。
そんな彼から、医局と称する医師たちの机を並べた部屋で、ある話を聴いた。すなわち、昔の医師は、肺結核を診断するときに、打診、つまり患者さんの胸に手を当て、その中指を反対の手の指で叩くことにより、肺の中にある空洞を診断したというのだ。空洞は、結核が進展した結果できる形であり、彼は理学所見の重要さを説いてくれたのであった。当時、私は結核療養専門の病院にアルバイト勤務したことがあった。その際に、先輩医師の言葉を踏まえて診察したことがあったものの、私の打診技術では到底診断できなかった。この話は長年忘れていた。
さて、連休も終わって、普通に日常が続くある日に、トーマス・マンの『魔の山』を読み始めた。これは、主人公の青年が、スイスの高原で結核療養することになったことから物語が始まる。結核に罹り診察を受ける際に、「聴診をつづける八分間か十分間、無我夢中で息を吸い込んだり咳をしたりした」「打診で空洞の音までするという」という内容の文章があった。ここを読んでいて、急に40年も前に先輩医師から聞いた件の話を思い出したのである。彼の言葉は、誇張ではなく、打診することによって結核病巣を診断することが当たり前のようになされていたことが、この文章から裏づけられたと思ったのである。それと同時に、昔の医師は、診断に要する設備が限られた中で、今とはちがう努力をしなければならなかったこと、その努力をいま十分に引き継いでいないことなどが頭に浮かんだ。
それはともかくとして、トーマス・マンがこの本を書いた20世紀初頭から比べると、結核に罹患する人は激減した。だから、空洞を診断するにも、対象となる患者さんがいないため、現代の若手医師は、このような機会がないのではないかと思うのである。私が持っている古い診断学の教科書を取り出してみた。三冊の診断学のうち、わずか一冊に「打診時破壺音を呈することがある」と書かれていた。今の診断学教科書には、この文言が記載されているのだろうか。
結核に限らず、時代とともに減る疾病があり、その診断をする機会も少なくなる。そんな中で、昔書かれた書物を読んだり、昔を思い出したりすることは、懐古趣味ではなく、失われつつあるものを再考し、今を戒める機会であると思うのである。何故なら、聴診だけで十分間も要したことを知り、患者さんに新たな気持ちで対峙したいと思ったからである。
日本内科学会
2019年05月08日
日本内科学会に出席した。今年の会場は、名古屋だった。今年は、これまでにない十連休。しかもゴールデンウィークが始まる日に重なるような日程のため、2月の初めにホテルをとろうとしたものの、すでにどこも満室。やっと探したホテルは、最近開業したてのものだった。新しいホテルだったからか、カーナビゲーションで番地、名称、電話番号、どれを入れても検索が出来ない。大体の見当をつけてドライブしたものの、結局見つからず、駅周辺の駐車場に入れて、電話で道順を聞いて、やっとホテルに着くことが出来た。名古屋は大都市ではあるが、内科学会を催すには、小さいのではないかと思った。
毎回、相も変らぬマンモス会場だから、全貌をつかむことなどとても出来ない。いくつもの講演の中で、咳(せき)、痰(たん)に関する話が印象的だった。切り離して考えることが出来ない咳と痰。これらについての診療ガイドラインが発刊され、会場でも売られていた。さっそく購入したこのガイドラインには、咳と痰とが個別に解説されていて、演者によると、痰の診療ガイドラインは、世界初だそうだ。さっそく読み始めているが、治療薬が有用かどうかという基本的なことにも言及しているから、私など臨床医には読み応えがある。各章にFAQ(質疑応答集)がついていて、概略をわかりやすくしてくれている。また、小児についても成人とは別にページを割かれていることもわかりやすい。さっそく、日常の診療に役立てられると嬉しくなった。
学会では、いつも書籍売り場に行くことにしている。都会の書店でさえ比べものにならない量の書籍があり、眺めることの楽しさが満喫できるからである。おかげで、件のガイドラインのほかにもいい本を購入できた。
学会の帰りは、帰省客や観光客のクルマに巻き込まれて、道路は大渋滞。せっかくいい診療ガイドラインを手に入れ、厖大な量の書籍を眺めて、久々に満たされた気持ちが、すっかり遠のいてしまった。今後は、ゴールデンウィークは避けてもらいたいと願っている。

