診療の中で
散薬ビン
2019年05月02日
明治村の中に、清水医院という小さな建物がある。中を見学していて調剤棚が眼に入った途端、懐かしさを覚えた。そこには、散薬を入れる7,8センチくらいの筒状の散薬ビンが並んでいて、昔の父の医院のことを思い出したからである。
私の父が当地で開業して数年が経った昭和30年代始め、私は小学校低学年であった。学校から帰ってから、当時は父が薬室と呼んでいた部屋によく入った。そこで、父と母が棚にある散薬ビンから薬を出して計量し、複数の薬を乳鉢の中で混ぜて、三の倍数に並べた薬包紙に分けて、それを包んでいるところをよくみたものである。薬を包む父母のいた薬室は、私の原風景でもある。それだから、明治村では温かいものを感じて、ほっとした気持ちになったのであった。
清水医院は、長野県大桑村に明治30年代に建てられたと説明されている。この明治時代は、私の小学生時代とは、ざっと60年の開きがある。それなのに、同じ光景があったことについて、大雑把に言うと、この60年の進歩は緩やかだったと私には映った。一方で、現代では医学は日進月歩という言葉が代名詞となるくらい、進歩が著しい。その中で、調剤薬はほとんど散薬から錠剤、カプセルになり、毒薬、劇薬はもちろんのこと、処方する数も比べるべくもなく増えた。室内には分包機などが揃い、調剤室は、昭和30年代から新たな60年を経て、その風景も機能も変貌を遂げた。
さて、ある雑誌を読んでいたら、50歳代の医師が医学の進歩についていけないとこぼしていた。60歳代の私は何をかいわんや、であるが、進歩に対する感想はよく聞かれる。最近の進歩事情のすごさを薄々感じていた私は、散薬ビンを見てからというもの、医学は、途中から飛躍的に増えるという指数関数的に進歩していると確信的に思うようになった。そういえば、昔教わった癌細胞の増え方も、ある時点で爆発的となり、こちらも指数関数的増加だったのではないかしら。
医学の速い進歩に、実は60歳代となった私は、時におののくことがある。一方で、現代の若手医師は、この速さを速いと思っているのかどうかを確かめてみたい気持ちがある。というのも、若い頃と比べると、ずい分と時の過ぎゆく速さを速く感じるようになり、進歩の速さも感覚的なことが加味されているのではないかと疑うからである。つまり、若者には日進月歩の進歩が、そうそう速いものではなくて、ごく普通の出来事と受け止めて、進歩している内容を咀嚼しているのではないかと思ったのである。しかし、進歩に適応するにも限界があるとも思うのである。それに今は、どう生きるか、という生き方も指数関数的に増えていそうであり、その結果、生きがいがなくなるのではないかと危惧するのである。その上、進歩の速い世の中で、温かい心の景色である原風景を抱くことがあるのだろうかと、余計な世話をやいてしまいそうだ。
以上、明治村で眼にした散薬ビンから、医学の進歩や時間感覚に思いが至り、今昔の診療の一部を眺望した。何をどう結論づけたら良いかわからないが、偶然眼にした散薬ビンは、自身の立ち位置を確かめる指標と思えた。