小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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診療の中で

人間ドック

2018年01月10日

10数年前に医院のホームページを作っていたとき、知人が、スタイルシートを用いることにより、保守・点検が楽になる等の助言をしてくれたことがあった。その昔、おでんが好きだったのか、繁華街にあるお店に連れて行ってもらった。そこで意気投合、どんな話題にも長広舌を揮って、まさに博覧強記の人だった。その知人が急逝した。この数年間、病を抱えながら仕事に没頭していたそうだ。倒れてから運ばれた地域の基幹病院で、心臓に関係した死であったと聞いた。そして、病と心臓との関係は、急な経過だったこともあって、わからなかったらしい。

私は遺族から、なぜ急な経過をたどったのだろうかと尋ねられた。病院に通院していたこと以外に手掛かりがさほどない中で、生前に人間ドックを受けていたことを聞いた。かなり若い頃より毎年同じ施設で几帳面に受けていて、亡くなった年まで20年ほどその記録を溜めていた。まさか亡くなる年にも病院通いの傍ら、人間ドックを受けていたとは。後日この検査結果を見せてもらった。それは、その中に因果関係を示唆するような数字の推移がないだろうか、そして、それが見つかれば供養になるのではないか、と思ったからだ。しかし、何年も積み上げられた検査結果に特別な異常値はなく、心電図も正常範囲内であった。

人間ドックの結果の中には、診察結果も記載されていた。私が拝見した一番古いその中に、心雑音あり、の文字があった。ところが、翌年からはその記載はなく、今に至っている。知人からも遺族からも、心臓疾患があったことは聞いていない。

以上、人間ドックでの結果は異常がなく、しかも病状を反映するものは何もなかった。そして、検査医が心雑音を指摘したにも拘らず、精密検査を勧める体制はなかった。それどころか、次年度からは心雑音を指摘していない。結局、多くの検査と診察結果があったものの、遺族の問いに答えられるだけの手掛かりを掴むことができなかった。

人間ドックを受ければ、大多数の人たちは安心するだろうし、だからこそ定期的に受ける人が多いのだろう。知人のように検査値に異常がなければ、検査医はそれ以上の追究はしないだろう。しかし、このたくさんの検査結果を前にして、私は釈然としないでいる。これだけ熱心に毎年通ったことと、病状に検査値は何の回答もしなかったことの落差をどう解釈すればいいのか。遺族に、しんどいと漏らしていた知人。人間ドックで診察した医者には、しんどいと訴えなかったのだろうか。何とかならないかと、人間ドックに、病院とは違う活路を開いてもらおうとしたのではないか。今となっては何もわからない。

検査も大事だが、医者の手、眼、耳でもっと介入できる人間ドックの体制が要るのではないかと切に思う。病を見て人を見ず、と医者は戒められる。知人の死を機に、検査値を見て人を見ず、という言葉も付け加えなければならないと自戒を込めながら思う次第である。