診療の中で
産業医研修会余話
2014年09月23日
先だって、都内で開かれた産業医研修会を受講した。今回は、私の関心事だった職場の過重労働対策とメンタルヘルス対策が講義内容に含まれていた。10時から夕方までの長丁場に、300人くらいが参加していた。午前の部が終わって昼休みとなり、食事をとるため外に出たときのことである。一昔前なら、街を少し探せば、そば屋や定食屋があったのだが、近年そのような気の利いたお店はなかなか見つからない。どうしたものか、と歩いていたら、すぐ近くでコンビニエンスストアを眼にしたから、そこでお昼を買おうと思い、お店に入った。お店には同じ考えの受講者が押し寄せていて、奥のレジの前に大勢並ぶこととなった。
2つあるレジのうちの出口側をふと見たら、受講者の一人と思しき私よりやや年配の人が、品物を計算している人の後ろに並んでいる。店員は、何やらしゃべっていたが、その人は一向にその場を動こうとしない。その場の雰囲気から、列の後ろに並んでください、と店員は言ったけれど、その人は理解できないのだろうと想像できた。
並んでいた私にやっと順番がきて、件の店員とは別の店員のところで買上げとなった。その際に、レジを打ちながら何やらしゃべってきた。私は近くにいたにもかかわらず、聞き取れなかった。それでも、ご飯を温めますか?と聞いてきたととっさに判断して、はい、と答えたところ、案の定、電子レンジに品物を入れてくれた。出口側のレジにいたその人は、あとで並んだと思われるから時間のロスがあっただろう。私は、たまたま判断よくスムーズに事が運んだ。しかし、この2つのことに、言いようのない違和感を抱いた。
コンビニで働く若者と、私のような60代の人間とに世代間ギャップがあることは言うまでもない。ギャップにはいろんな要因があると思うが、年とともに衰える身体に係ることが大きいのではないかと思う。特に、60代ともなると聴力が下がる。若者に早口でしゃべられると、特に子音が聞き取りにくくなる。出口側にいた人も、何を言われたのかが聞き取れなかったのだろうと想像する。しかし、コンビニを利用する多数の若者と店員との間では、私が遭遇したようなことは、まず起きないだろう。
そんなコンビニでは、店員たちが「ありがとうございました、またどうぞ」という言葉を利用客の年齢を問わず判で押したように発する。そして、レジを離れる間もなく、次の客に「こんにちは、いらっしゃいませ」の言葉、失礼だが、機械がしゃべっているような光景である。
聴力の低下した年配客を始めとして、誰彼かまわず同じ対応をすることについて、ある社会学者は、人に関心がないからだろう、と分析していた。そして、群れて遊ぶ幼稚園児は、決して共同作業をしているわけではなく、実はそれぞれが勝手に遊んでいる、そんな幼稚園児がそのまま大人になったのではないか、とも分析していた。然もありなん。私たちを多数の若者と同じように接してくれることは、平等感こそあるものの、逆にますます世代間ギャップが拡がってしまうのではないかと恐れる。
午後からの実地研修で、どのような点を留意して過重労働対策をしますか、という講師の質問に対して、フロアの医師が、一般論ではなく個々の業務内容を徹底分析することが肝心だ、と答えていた。研修会では、一人一人に合った対策をすることを教えられた。そして、コンビニでは、お客は皆ちがうということを知ることが肝要であることを改めて感じたと同時に、そのことを私たち60代は、伝えるという課題があると思った。もう年だから、と言うことなかれ。徐々に衰える聴力を自覚することからでも、ある種の社会参加は出来る、という心境である。