診療の中で
健全なる肉体あればこそ
2025年11月30日
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」とは、ローマ時代に書かれた詩人の言葉である。広辞苑には、身体が強健であってこそ精神も健全である、とある。有名な言葉であるが、私は若い頃、その意味について感慨もなにもなかった。そして、ずっと意識にも上らず忘れていた大学在学中のある日のこと、同級生が何かの話の途中で、この言葉を持ち出した。すなわち、これは、健全なる肉体に宿るのが望ましい、ということなのだと、彼の解釈を述べたのだ。
望ましい、と付け加えるほどに、この言葉に深遠な意味が含まれているのではないかと想像して、畏れ多くなったことを覚えている。しかし、残念ながら、その本意を彼にたずねなかった。以来、私はこの言葉が浮かぶと同級生を思い出すという具合だった。彼は、哲学を他学で学んでから医学を志したという経歴であった。だから同級生とはいえ、数年の年配だったこともあり、私は一目置いていたのだ。
さて、病を得た3月からずい分と月日が過ぎた。外では、すでに色づいたカツラの落葉も半ば終わっている。身体の不調は、勝手気ままに過ごさせてくれない。しかし、その期間を、長かった、と過去形で綴ることが出来そうだ。ようやく症状が軽くなってきたからである。ただ、血液検査で炎症反応がまだ残っているから安心はできないものの、「復活」の兆しを感じるこの頃である。
長患いして、少なくとも創造的な生活は削がれた。ピアノは弾かなくなり、このHPもほとんど更新しなかった。また、夥しい数のメールを処理せずに、仕事の関係のメールも読まずにいたら、返事を催促された、というように塩梅が悪かった。まさに、詩人の言う通りだと改めて思う。
それにしても、「復活」を手中にしそうないま、気分の赴くままに過ごしている。また、同級生が言った、健全なる肉体に宿るのが望ましい、という解釈は、全くの健やかではないいまのような状態もあるから付言したのだと思った。

