診療の中で
産業医活動
2021年03月15日
過ぎに過ぐる産業医活動、と枕草子を拝借して近ごろ経験した有り体の事柄を記す。
私は、産業医として、いくつかの職場で過重労働となった労働者に対して面接指導を行っている。その過重労働は、過重な業務負荷によって、血管病変などが自然の経過を超えて著しく増悪し、脳血管障害や心疾患の発症を誘発するものであり、ひいては過労死等が多発する事態になる。平成26年に、過労死等防止対策推進法が成立したことを機に、職場での過重労働対策が課題となり、産業医が関わることとなった。また、この数年、産業医研修会でもこのことを取り上げることが多くなった。
過重労働となった労働者に面接指導を行ったからと言って、それぞれの職場の事情があり、簡単に労働時間を含めた環境を改善出来るものではない。ところが、先日ある職場の上司から、私の面接指導を受けた労働者が努めて労働時間を短縮させていると聞いた。このことは、面接指導を続けていて、初めて聞くことであった。この労働者はまだ20代と若い。一般に、若い人ほど身体に不自由を感じることはなく、少々労働時間が延びたからと言って、過重労働が誘発する病気が自分に降りかかることはないと思っているのではないか。そのことは、実際に若い人が発症した事例を示しつつ指導をしていて、しばしば感じることであった。そんな中で、働き方を変えようとしていることを私は嬉しく思い、今後も活動を続けようと励みになった出来事であった。
さて、コロナ禍のなか、昨年の夏は、小児の手足口病、ヘルパンギーナなどの感染症が激減した。また、9月頃より流行し始めるインフルエンザも激減、三重県感染症発生動向調査をみても、例年年末年始にかけて大流行していたのに、今年は桑名市、伊勢市などで数名が発生したという報告に留まっている。2月22日以降は、一人のインフルエンザも報告されていない。南半球でも昨年は、インフルエンザが流行しなかったと聞いた。これらの病原微生物は、鳴りを潜めているのだろうか。おそらくそうだろう。これまで、インフルエンザワクチンを大人数に接種していても決して減らなかった発症数の激減ぶりに、臨床医としての驚きは大きい。この現象には、遠出を避ける、マスクを着用する、外国との交流が減った等など、いくつか理由があるとは思うのだが、私は、感染症が減ったと手放しで喜べないでいる。
生き物である人間は、微生物と共生している。その仕組みは様々にあり、例えば人間の腸にある大腸菌は、菌が妊婦の腸管に刺激を与えることによって、出生後の子どものさまざまな生理機能に関わるなど、未だに新たな共生の知見が発表されている。また、人間の周りには、病原微生物も多数あり、時に感染して発病に至る。発病後は、身体の蛋白質や白血球細胞が動員される。そして、感染を繰り返すことによって、身体を防御したり、微生物を攻撃したりすることになるのである。しかし、コロナ禍のいま、全国、いや世界中で感染症が少なくなっていて、このような身体の機構が休息状態にあることが想像される。そうなると、今後新型コロナウイルス感染が収束されたあかつきには、他の感染症に対して無防備とまではいえなくても、感染しやすい身体になってしまっているのではないかと思うのである。特に身体の機構が脆弱な小児について、心配は尽きない。
新型コロナウイルス感染症が世界的に蔓延している昨今、産業医としても、職場での会議でコロナ禍について触れている。すなわち、微生物と共生しているこれまでの仕事環境もガラリと変わる可能性があると私は推測していて、目下、働く人たちに注意喚起をしているところである。
冒頭で拝借した枕草子には、過ぎ過ぐるものとして、人の年齢や四季をあげている。私は、若い労働者が身体を顧みたこと、微生物との共生の変化、これらも時の在り方のうちと思ったことから、活動の一端を披露した。