小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

三重県熊野市 小山医院

診療の中で

産業医の発言

2021年02月10日

産業医の職務は、健康診断結果に基づく措置、長時間労働した場合の面接指導、作業環境の維持管理、衛生教育などを行い、働く人の健康管理を担うことにある。これらに加えて、より適切な管理を行うため、職場巡視をして、さらに、衛生委員会に参加する。私は、いくつかの職場でこの役割を担っている。最近になって、ある職場で、あるエピソードがあった。

衛生委員会は、事業所から生じる安全や衛生問題などを討論する場であり、私が出席する際には、その都度、産業医としての意見を述べている。そのほとんどを、会議の終わりに総括する形で締めくくる。ある職場で会議を行ったときのことである。いつものことながら、事前に最近問題となっている事柄をまとめて会議に臨み、さらに、会議の途中で気になったことを書きとめて、最後に発言する用意をしていた。しかし、進行役は、私にコメントを求めることなく会議を終わらせた。追加発言すればよかったのであるが、喫緊の問題でもないし、何だか差し出がましさを感じたから何も言わなかった。次も、その次も同じような具合で会議が終わった。

私は、この調子だと産業医が会議に出席する必要がないと思ったので、終わりのあいさつ(実に、始まりと終わりに起立してあいさつを唱和するのである)をする前に、進行役にひと言を発した。私に会議についての意見を求めないのなら、今後この会議に出席しなくてもよいのでは、と皆の前で言ったのである。その後、責任者と三者で話し合い、毎度発言の機会を設ける旨を申し合わせた。

次に訪問した時、会議の事項書をみると、責任者のあいさつの次に産業医あいさつと書かれていた。書かれているのだから、はっきりとして良いと思ったものの、私と責任者のあいさつを並べるのは仰々しいと思ったのである。また、会議を産業医として総括することのほかに、冒頭にあいさつすることを設けてもらうと、発言する機会が多くなり過ぎて、活発な意見交換が出来るだろうか。そんなことを打ち合わせた結果、他の職場と同じように、会議の終わりにコメントを求められて意見を述べるということとなった。

こんなちっぽけなことを取り上げたのは、何か事が運ぶ際に、そのこと自体が形を整えるだけで、中身を掘り下げることなく有名無実化しているのではないかと危惧したからである。会議でいえば、進行して形だけ終われば良くて、本来の趣旨を疎かにしている。まさに形骸化していると思うのである。私は、冒頭に記した産業医の職務を実行するために、ある緊張感を抱きながら発言している。すなわち、その都度真剣勝負にも似て臨んでいるのである。ところが、件の職場で体験した進行具合は、私に付け入る「隙」を見せなかった。

このような会議のエピソードを教訓にすると、周りに同じようなことが多く見つかると思った。職場を活性化させることは悪いことではない。しかし、本来あるべき活性化を形骸化が阻んでいると改めて思う。周りだけではなく、私が担っている職場も、私の医院も、何か滞ったことがないかと、見直してみようという気になった。どんな組織も制度化されてしばらく経つと、旧くなるものである。陳腐化するに任せるのではなく、魂を入れれば、それに見合う効用があると思った。