小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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診療の中で

風邪と診断する

2019年08月25日

この夏も、小児を中心に手足口病が流行した。ある患者さんの保護者が、インターネットで調べたところ、手足口病ではないかと思い、診察に来たと言っていた。子どもの手足には、典型的な発疹があり、私は追認して、これからの過ごし方を話したところ、ネットに書いていましたと、すでに対処方法も知っていたようだった。もしかしたら、私の知識より多いと思えるような保護者の話しぶりであった。私はかねがね、患者さんに知識が増えることは、病気を介在とした医者、患者の在り方を考えるきっかけになることがあり、どちらかというと好ましいことであると思っていた。そして、私の開業年数を重ねるにつれて、徐々にそのようになってきている。

話しが変わり、いささか旧聞に属するが、福島第一原発が震災にあった直後から、事故に対応するため、東京電力本店と現場とでテレビ会議を行っていた。その会議の記録をAI(人工知能)で分析したところ、現場で指揮をした故吉田所長が徐々に極限の疲労状態に達していたことが判明したという。AIによって、日本語の自然言語処理を施したらしいが、仔細は『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』に書かれている。どうも、AIは感情や心の動きがわかる段階になっているようなのである。また、医療の分野でも、MRIなどの画像や細胞の診断に活用されつつあると聞く。すでにAIが医者に取って代わり、医者の存在感を少なくしている。これは医者の存亡の危機なのではないかしら。

それはともかくとして、インターネットやAIが日々の診療に関わってきているいま、この効用に期待が大きくなる反面、冒頭に触れたことを始めとして、医者、患者の在り方がもっと変わることが予想される。医学知識が医者だけのものではなく、広く情報を共有していることに、医者は心しなければならないと思うのである。そして、拡がる情報を仕入れるなどして、これまでより柔軟な考えを持たなければならないとも思う。しかし、私は患者さんが知識を持つことに今でも肯定的であることは変わらないのに、どうにも居心地の悪い昨今なのである。すなわち、診察室にいて、科学の進歩の速さが、人間関係にどのように及ぼすのかがわからないのである。いや、AIは医者、患者の在り方が変わったとしても、人と人との間にある機微に、最後まで触れることが出来ないのではないかと思うのである。たとえば、患者さんがAIと話して、心から安心できて、頼もしさや温かさを感じるかどうか。ここにまでAIが至ると、もう医者は不要となる。

世の中が、AIによって一変してしまいそうなことに異議申し立てしたいものの、たった一人では何も出来ない。そういえば、心理学者の河合隼雄が、のどが痛く、咳が出て、鼻水が出た、それを医者に風邪だと診断されることが大事であると、著作中に書いていた。患者さんは、今でいうAIに支配されてはならないということをふた昔以上前に河合隼雄が警告したのではないかと勝手に解釈している。いや、大事なことと思うのだが。

以下は蛇足である。

ある日、肝硬変症に罹った患者さんが下腿に浮腫を生じたため、私は、肝硬変症と下腿浮腫と病名をつけて、利尿剤を処方した。しかし、利尿剤の適応病名である「肝性浮腫」と書かなかったため、診療報酬を請求した際に戻された。何と杓子定規な、と抵抗したところで何の打開も出来ない。これなど、AIに任せてみてみたら、どう判断するだろうかと夢想した。AIのある世の中で、重みがあるものを探すという楽しみはある。