小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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診療の中で

打診、聴診

2019年06月10日

私が臨床経験を積み始めた20代のことである。運よく恩人と言える医師に遭遇した。その医師は、理学所見、つまり患者さんを視て、触って、聴いて得られる情報を殊の外重視した。私にとって、その診察する姿をみることが何よりの臨床教育であった。

そんな彼から、医局と称する医師たちの机を並べた部屋で、ある話を聴いた。すなわち、昔の医師は、肺結核を診断するときに、打診、つまり患者さんの胸に手を当て、その中指を反対の手の指で叩くことにより、肺の中にある空洞を診断したというのだ。空洞は、結核が進展した結果できる形であり、彼は理学所見の重要さを説いてくれたのであった。当時、私は結核療養専門の病院にアルバイト勤務したことがあった。その際に、先輩医師の言葉を踏まえて診察したことがあったものの、私の打診技術では到底診断できなかった。この話は長年忘れていた。

さて、連休も終わって、普通に日常が続くある日に、トーマス・マンの『魔の山』を読み始めた。これは、主人公の青年が、スイスの高原で結核療養することになったことから物語が始まる。結核に罹り診察を受ける際に、「聴診をつづける八分間か十分間、無我夢中で息を吸い込んだり咳をしたりした」「打診で空洞の音までするという」という内容の文章があった。ここを読んでいて、急に40年も前に先輩医師から聞いた件の話を思い出したのである。彼の言葉は、誇張ではなく、打診することによって結核病巣を診断することが当たり前のようになされていたことが、この文章から裏づけられたと思ったのである。それと同時に、昔の医師は、診断に要する設備が限られた中で、今とはちがう努力をしなければならなかったこと、その努力をいま十分に引き継いでいないことなどが頭に浮かんだ。

それはともかくとして、トーマス・マンがこの本を書いた20世紀初頭から比べると、結核に罹患する人は激減した。だから、空洞を診断するにも、対象となる患者さんがいないため、現代の若手医師は、このような機会がないのではないかと思うのである。私が持っている古い診断学の教科書を取り出してみた。三冊の診断学のうち、わずか一冊に「打診時破壺音を呈することがある」と書かれていた。今の診断学教科書には、この文言が記載されているのだろうか。

結核に限らず、時代とともに減る疾病があり、その診断をする機会も少なくなる。そんな中で、昔書かれた書物を読んだり、昔を思い出したりすることは、懐古趣味ではなく、失われつつあるものを再考し、今を戒める機会であると思うのである。何故なら、聴診だけで十分間も要したことを知り、患者さんに新たな気持ちで対峙したいと思ったからである。