小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

生起すること

2018年10月04日

バレンボイムという1942年生まれのピアニスト兼指揮者がいる。ブエノスアイレス出身のユダヤ人であり、まだ幼少であった戦後、指揮者であるフルトヴェングラーに、その才能を認められた人物である。その彼がパレスチナ系アメリカ人の文学批評家であるサイードと対談した内容が、「音楽と社会」という本に収録されている。お互い、音楽や音楽家について縦横無尽に語っている。その中で、グールドがバッハを演奏することを解説するサイードの話を受けて、バレンボイムが語った件(くだり)を引用する。

「二つの音符を奏しただけでも、そこにはなにかの物語が語られているはずなのだ。」

この語りは、私に遠い昔を思い出させた。それは、フルトヴェングラーが指揮をした、ブラームス交響曲第4番の出だしの音である。ここでは、多くのオーケストラの楽器が演じることに先んじて、第1バイオリンと第2バイオリンだけがシの音をオクターブで演奏し、次のソの音に引き継ぐ。引き継いだと同時に、ほかの弦楽器、木管・金管楽器が一斉に鳴る、という始まり。2分の2拍子で始まる四分音符のシの音は弱いまま、四分音符の領分を侵して、フルトヴェングラーは一瞬間長く鳴らすのである。ソの音に引き継がれ、開始音が時の彼方へ追いやられて、演奏は続くにもかかわらず、ソに引き継いだシの音の長さが、まるで曲のすべてを制御しているかのように、聴覚の片隅にいつまでも残るという演奏である。そんな開始音を思い出したのだ。

大正生まれの指揮者、福永陽一郎は、この部分を「この楽譜から、フルトヴェングラーとベルリン・フィルのメンバーと、会場で息をのんで待ち構えていた聴衆の三者によって、永遠に残る、奇跡的な、人間によってつくられたとは信じられない「音楽」が記録されたのである。」「ブラームスの第四交響曲の開始音は、永遠に鳴り続けているのである。」と記した。永遠に鳴り続けているシの音を他の演奏と比べてみるため、若い頃に、交響曲第4番の音源を出来る限り収集した。実演でも、来日したムラヴィンスキーなどで聴いた。しかし、この四分音符の長さを意識させられる演奏には出会わなかった。

フルトヴェングラーには、いくつかの著作がある。私の手元にある「音と言葉」の中に、晩年のブラームスは、「いよいよ素朴に、静寂に簡素に、集中的になって行った」と書かれた部分がある。これらの修飾語について連想し、フルトヴェングラーを聴き直してみた。交響曲第4番の開始音が鳴り続ける演奏は、「静寂に簡素に」という言葉の意味と矛盾するようでいて、返ってその言葉の重みが増すような気がするのである。そして、開始のシとそれに続くソの音との組み合わせに、ブラームスが晩年を生きた息吹を感じた。それは、「素朴に」音楽を創造する姿であり、まさにバレンボイムが語った「なにかの物語が語られている」部分であると思ったのである。私は、一瞬間長く、と記した。その長さは、ブラームスの意向を汲んだフルトヴェングラーの才能が生んだ時間、一瞬間の妙がそこにあると思うのである。フルトヴェングラー亡き後、福永によると、指揮者のカール・ベームが、「彼の後、誰がブラームスの第4をあえて指揮しようと思うでしょう」と追悼の言葉としたらしい。

バレンボイムが戦後にフルトヴェングラーと協演する話があったとき、彼の父親がそれを止めたと聞く。まだ戦後すぐの時期には、ドイツに対してユダヤ人である父親が、たとえ芸術の世界とはいえ、友好的になれなかったのではないかと想像した。しかし、この「二つの音符」ならぬ二人の芸術家が合わさっていれば、大きな「物語が語られ」ただろうということも想像する。また、ユダヤ人とパレスチナ系アメリカ人が対談し、多くの「物語が語られ」たことは、時代の変遷を感じることでもある。

今、仕事の余暇に弾いているシューベルト。私は、その開始の二つの音を殊の外意識している。そうすることで、シューベルトの魂が生起するようなのだ。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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