小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

シューマン歌曲「新緑」に思うこと

2016年03月31日

私がシューマンの歌曲集を手にしたのは、まだドイツ語のアー、べー、ツェーも知らない高校生のときである。当時私は、音楽部合唱班に所属し、そこでシューマンの「二人の擲弾兵」という合唱曲を歌った。この合唱曲の原曲が歌曲であることを知って、その譜面を手に入れようと、歌曲集を求めたのだ。

                                    シューマン・大泉2

そこにたまたま含まれていたのが「新緑」である。この曲には、か細くて、冷やかで、ちょっとしたことで壊れてしまいそうなメロディがあった。また、何かをいたわるようなやさしさもある。おそらく、高校生で、今より感度が鋭かった時期に見つけたものだから、余計にそう感じたのだろう。もちろん、今もその思いは変わらない。音源を持っていなかった私は、譜面を見ながら、1ページにも満たない簡潔なメロディを何度も何度も口ずさんだものである。メロディもさることながら、大学生になってからドイツ語を多少知り、その内容が理解できるようになって、益々この曲の虜になった。

曲には、Einfach 単純、飾らず、あっさりと、という意味の発想記号が冒頭につけられている。ト短調の主要三和音がピアノで鳴らされたところに、レ、シとシ、ソなどの3度の音程を多用した比較的速いテンポで歌が始まり、たったの8小節で1番が終わる。このあとのピアノの間奏は、さらに少ない4小節である。ここは、同名調のト長調に変わり、これも3度を多用し、最後はト短調の和音に戻って、2番に引き継ぐ。これが3番まで繰り返されて、消え入るように終わる。

この短い中に、3度の音程、特に短3度が散りばめられている。短3度は、古典派のモーツァルトやベートーベンの曲で、よく耳にする音程である。耳にするというよりは、この音程に私はいつも気を留めてしまう。私が最近挑んだシューベルトのピアノ曲にも、曲の転換や展開する部分に、ふんだんに使われていた。この音程は、その曲の勘どころで耳にするため、重要だと常々思っているのだが、これが「新緑」にも使われていた。ロマン派には、過去の様式、つまり古典派への憧憬と模倣を指摘することが出来るといわれているように、確かに、ロマン派のシューマンにも引き継がれていると感じたのである。

この曲にはいくつもの対訳、直訳があるが、ここでは堀内敬三の対訳を取り上げる。

一 さみどり さみどり お前のすがたを 雪かぜの冬に どれほど待ったことか

二 土から芽生えた さやかな緑よ 森かげのかぜに お前を抱こうよ

三 苦しさ さびしさ 浮世の旅路も さみどりの色に こころはなぐさむ

この訳詞を詠むと、長くさびしい冬を耐えている人に、まだ雪が残っている大地から、待ち続けていた緑が、やっとわずかに出てきてくれた、何と緑になぐさめられるのだろう、というような情景が想像できる。医師であったケルナーの元々の詩を題材にしたシューマンも、おそらく同じ情景を頭に描いたのだと想像する。ト短調で描かれたこの曲想は、まさにそうなのだ。高校生の時に感じたことを裏付けるような歌詞である。そして、この歌詞を知って、それまで気にも留めなかった「新緑」という曲名が気になるようになった。何故なら、「新緑」という語の意味は、至る所が青々とした緑で覆われるような、明るく広々とした緑をイメージさせるからである。たとえば、唱歌の「おお牧場はみどり」のなかに、「草の海、風が吹く」「よく茂ったものだ」という訳詞がある。新緑という語にはこういった、明るく晴れ晴れとした緑が浮かぶのである。広辞苑を引いたら、実際、新緑は、晩春や初夏のころの若葉のみどり、とあり、おまけに季語は夏になっている。

ドイツ語を教わるようになって、この「新緑」という曲名の原語、Erstes Grün は、初めての緑、最初の緑、の意味であることを知った。そうなのだ。高校生の時に感じていたように、この曲は初めての緑だったのだ。「初めての緑」なら、詩の内容と曲想とに合う。しかし、なぜ初めての緑を新緑と訳したのだろうか。

曲に親近感をもってもらうために、訳者が意訳ともいえることをしたのかも知れない。確かに、短い曲名のほうが覚えやすい。いや、そのようなことではなく、erstには、新しい、という意味があるのではないかと思って、独和辞典を引いた。そこに、真っ先の、初めての、ついぞなかった、などの意味は書かれているが、新しい、は書かれていない。

そこで私は、「新緑」という曲名をつけた理由を、過去に記録された中に、手がかりがないかどうかを国立国会図書館のサーチを利用して探ってみた。

1950年に刊行された春秋社、世界音楽全集、声楽篇に、「若緑」とある。初めての、でもなく、新しい、でもない新たな曲名に遭遇した。もっとさかのぼってみると、1949年、東京音楽書院、シューマン=歌曲集には「新緑」の曲名。さらに、1937年、同じく東京音楽書院、新撰女聲曲集にも「新緑」が見つかった。

面白くなって、大正期までさかのぼってみたところ、1924年、門馬直衛の著作に、音樂家と音樂、シユーマンがあり、この中の104ページに、「初綠り」という記述がみられた。この記述に、私は小躍りした。大正期に彼は、Erstes を忠実に、初、と訳していたではないか。そこで、その前に調べた1937年までの13年の間に、何らかの理由で「新緑」に変化したのではないかと推理した。しかし、この間の文献が見つからない。しかも、さらにさかのぼってみると、1910年、天谷秀、近藤逸五郎共著、女聲唱歌には、またもや、「新緑」と書かれていたのだ。検索した事柄は、ここまでであり、曲名をつけた理由にまで及ばなかった。

明治時代までさかのぼってみて、すでに「新緑」と訳されていたことが明らかになった。しかし、なぜ「新緑」と訳したのかについては、よくわからないままである。しかし、門馬直衛の書物に、そうではない記述があったことに、一筋の光明を見た。時間が許せば、彼の他の書物を読んでみたいと思っている。

最近になってこの曲に、「初めての緑」と曲名がつけられたCDが発売された。メゾ・ソプラノのカサローヴァが歌うそれである。大正期に一時使われていた、忠実な訳語が平成になって再び使われている。このCDがきっかけとなって、「新緑」は変えられていくのだろうか。今後の動向が楽しみである。

(紀南医報2016に寄稿)

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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