小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

時を隔てた聴き比べ

2015年03月28日

かつて鍵盤の獅子王と呼ばれたピアニストがいた。85歳で亡くなる直前まで現役として弾き続けた。

その彼の最後の演奏会の記録がある。大曲の途中、最終楽章の始まる前に、「少し休ませて下さい」と断って、短い休憩をとった。そして、休憩後はプログラムが変更され、小曲を3曲弾いて演奏会を終えた。その1週間後、彼は心臓病で亡くなった。この日の彼の演奏には、音が抜ける個所があり、いつもの完璧さがなかった。休ませて下さいという声が弱々しく、しかも、亡くなった日が私の誕生日でもあって、私は長い間、聴く気持ちになれなかった。

さて、いつもの完璧さがないなどの理由で遠ざけていて、長い間聴くことができずにいた最後の演奏を20年以上隔てて聴く機会をもった。そのきっかけは、音楽評論家の随筆を読んだことにある。評論家は、戦争を免れて九死に一生を得たことから、自分の人生を自分の力で生き、いつ死んでも悔いのない日々を送ろうと考えた、と随筆に書いていた。これを読んで、仕事、生きること、そして音楽が頭の中で合わさり、もう一度聴いてみようという気になった。

曲に入る前に、腕慣らしをするようにピアノに触れる。そして、弾き始めても、心臓が悪いことなど窺い知れない様子で、どんどん進める。聴き手に曲の進行を楽しませるようにリズムを刻み、大きな音は十分鳴っていた。技術的なことはさておき、その表現は、往時に引けを取らず、演奏を中断するまで、身体に異変があったことは、わからないくらいだ。

彼の身体にどのような変化があったのか、当時の記録を調べても詳細はわからない。ただ、当日撮った写真をみると、やや顔にむくみがあり、何らかの理由で心臓の機能低下をきたしていたのではないかと想像できた。それで、最終楽章を弾ききる力がなかったのかも知れない。

精神科医の中井久夫さんは、往診には空腹、尿意、便意は禁物で、これらが気力を萎えさせる、と言っている。演奏家ももちろん、健全な身体があってこその気力だろう。彼は、最終楽章を前にするまでは、弾ききる成算があったにちがいない。演奏家として、曲の途中でやめなければならなかった心境は如何ばかりか。私は、曲を中断するまでの演奏を繰り返し聴きながら、大曲に命の最期まで挑んだ気持ちに感服してしまった。私が若いときに聴いて、いつもの完璧さがないと思ったことは、 すっかり消えてしまった。むしろ、清々しく世の中に別れを告げたのではないか、とさえ思った。最期まで演奏を続け、ピアニスト冥利につきる死に方をした、と言った人がいたが、まさに演奏家人生を全うした。

この演奏会の記録を、若い頃の鋭敏な感覚で嗅ぎとって買ってはみたものの、若さゆえ感傷的になって、狭い視野で判断した結果、遠ざけてしまった。それが年を取ることによって、新たな気持ちで受け入れ、しかも演奏の本来の価値を見出すことができた。若さが審美眼を曇らせる、ということがあるのかも知れない。そして、年を取って得た経験は、芸術の接し方に変化をもたらす。

時を隔てて一つの演奏会を鑑賞して楽しんだ。このようなことが出来るのも、現代の、呼べば来てくれる再生技術のおかげである。演奏を何度も聴くという、この上ない時間を過ごすことが出来た。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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