小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

上原ひろみが伝えてくれたもの

2013年12月03日

ジャズピアニストの上原ひろみのコンサートを聴いた。彼女の演奏を初めて聴いたのは、2004年にオスカー・ピーターソントリオのコンサートで、前座を務めたときだった。当初、私は前座を時間つぶし程度に思っていた。ところが、弾き始めた彼女の技巧に舌を巻いてしまった。短い演奏だったのに、実は、楽しみにしていたオスカー・ピーターソンがかすんでしまうほどの印象を残してくれたのだ。それ以来8年。忘れた頃に彼女が再びやってきた。

このたびは、年配のドラマーとベース奏者を海外から引き連れての主役である。そして、海外での演奏が多い彼女の、トリオとして初の日本ツアーだと聞いた。私が聴いた会場は、5000席を超えていて、聴衆でほぼ埋め尽くされていた。今回は前座ではないし、たっぷりと3時間近くも聴かせてくれた。

静かな序奏から、ほどなくして大音量の主題に突入する、というパターン。そして、クラシック音楽に比べてフレーズの繰り返しが多いというジャズ特有のパターンに、私はたちまち没頭させられた。クラシックを聴いているときには、あまりないことだが、気がついたら身体を音楽に合わせて揺らせていた。当日の舞台の両端には、大きなテレビモニターがあった。私の座席は、比較的前にあったのだが、時にモニターを眺めながら聴いていた。そこに大写しにされる指をしばしば見る。その指は、強くしかも速く、いつまでも弾き続けている。それも並の強さではなく、乱暴な表現になるが、鍵盤を叩きつけるような弾き方が長く続く。昔はシューマン、現代ではソロモンなどが職業病として、指あるい は腕を受傷し、ピアノを断念したことが頭をよぎる。演目は自作の曲だから、速くしかも長く弾くことは織り込み済みなのだろうが、それを差し引いても、大丈夫だろうかと思ってしまう。とは言うものの、実際には次から次へと繰り出されるピアノの音、ドラム、ベースとの掛け合いに引き込まれていったのである。さらにモニターを見ていると、指を大きく広げて弾くことがあまりなく、弾いている隣の鍵盤か、あるいは近くの鍵盤を叩いていることが多いことに気がついた。近傍の音を速く連続して弾くことによって、その塊が新たなハーモニーをどんどんこしらえているように聴こえる。これらの音に囲まれているうち、私はショパンを思い出した。ショパンの曲は、半音や隣り合った音が多用され、まるで音楽が喋繰るように聴こえる。ショパンの手は大きくなかったらしい。それで、自分が弾くために、大きさに合った曲を作ったのではないか、といわれている。上原ひろみは小柄であるし、指も手も座席から見た限りでは、左程大きくはなかった。おそらく、自分の指に合った曲をショパンのように編み出したのだろう。彼女は、曲の途中で椅子から立ち上がって演奏することもあった。それが音楽を表現する手段なのかどうかはわからないが、立っては身体を揺すり、興に入っているようなのだ。ピアニストは、弾くために神経質に椅子の高さを調節することがある。そのことが無意味にさえ思える立ち姿である。モニターは、指だけではなく横顔も大写しにする。陶酔のようでもある集中した顔、時おり浮かべる笑みを含む楽しそうな顔。その美しさ。そんなことが3時間続いた。終わってみたら、弾く技巧も何もかもがずっと彼方に遠ざかってしまって、音の余韻のうちに私は溶け込んでしまった。拍手の渦の中で、今まで音楽を聴いていたのだろうか、とふと思った。

コンサートが終わり、私の中にじわじわと伝わるものがあった。彼女が創り出したものは確かに音楽であった。いや、それはたまたま音楽だったに過ぎない、とも思った。私は、55歳からピアノを弾き始めた。最初は、暗譜出来てしまうことが楽しくて、どんどん曲を増やしていった。しかし、いつしか欲が出て上手く弾きたくなり、その結果、弾くことが楽しくなくなった。会場から帰る道すがら、ピアノは上手くなりたくて弾くのではなく、弾きたいから弾くのである、ということを改めて伝えてもらったような気がした。年が改まった今、私は滞っていたピアノ演奏を再開している。
(初出:紀南医報2013)

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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