音のこと
音楽とは ー時を経て憶うー
2023年04月01日
今年いただいたある方からの年賀状に、「人間にとって音楽とは何かを考えています。」と、書かれていた。年の初めに、図らずも大きな命題に遭遇した。音楽とは、とボーっと考えていたある日、指揮者の小澤征爾が中国公演に至るまでの映像を見た。そして、映像から昔を連想し、追憶に浸ったので以下に記す。
小澤征爾の中国公演
小澤が中国のオーケストラを振ったのは1978年6月。その6年前の1972年に日中国交回復がなされた。国交回復後4年経った1976年に中国の文化大革命が終わるという日中間に大きな変動があった時代で、公演は、文化大革命が終わって2年後のことであった。
小澤は、中国の旧満州で生まれ、5歳まで北京で暮らした。そのような生い立ちがあるから、生まれ故郷で指揮をすることが悲願だったときく。コンサートにはブラームス交響曲第2番が選ばれた。映像には、小澤が中国の音楽家たちから受けた印象を語る場面があった。曰く、「オーケストラの人は、誰もブラームスを弾いたことがない(中略)だからブラームスの語法を全然知らない。(中略)ブラームスの持っている特別な味があるわけ。ブラームスはロマンティックで、幅が広くて重くって(中略)ドイツ音楽の最たるものだけど、彼らがやると、音だけ。一生懸命勉強したから、サラッといっちゃうわけ」「ドイツ音楽の最たるもの、その辺に持って行くまで時間がかかった。僕も必死でやった、彼らも必死、もう何でも吸い取るだけ吸い取ろうという気持ちで一生懸命」。
1976年から2年もの準備を経て、やっと本番にたどり着くまで、紆余曲折があったことが想像できる。さらに、リハーサルの光景が短いながら記録されていた。ブラームスの音楽を理解していなかった団員に対して、ドイツ的な表現とは何かを伝えるために、小澤は、「しゃべって」という言葉を繰り返していた。すなわち、「音だけ」が並んだ硬い表現を和らげるために、しゃべるようにという言葉を用いて、伝えようとしていたように思う。また、年を取ってお腹が出たブラームスを浮かべるようにとの指示もあり、演奏を温かみのある生き物としての音楽へと変化させようとしていたように思った。指揮台の小澤の身振り手振りを懸命に見る団員それぞれの眼。輝く眼。まじりけがない眼、眼。それは、いまブラームスが中国において初めて創られ、団員それぞれが、これまでとはちがった世界を覗いているという眼がそこに在った。
高校での合唱
中国の音楽家たち大勢の眼を見ていた時、突然、遠い過去を思い出した。私が高校の部活で音楽部合唱班に入っていたときのことである。
合唱班が日ごろの成果を発表する場には、練馬、中野、杉並区の第三学区内のそれぞれの高校が参加する地区音楽会がある。それとは別に、東京の各々の学区がまとまって一つの合唱団体になり発表する中央音楽会もあった。ちなみに第三学区は11の高校が寄り集まり、総勢100名を超えていたと思われる大人数の団体であった。普段、部活の少人数で行なうときとは規模がちがって、しかも、ほとんどが交流のない生徒同士であった。
この中央音楽会では、指揮は、音楽を指導する教師が担うことがほとんどで、第三学区の指揮者は杉並区のある高校の先生であった。その際に選ばれたケルビーニとベートーヴェンの合唱曲を練習していた時のことである。だんだん強く歌うフレーズで、先生は、「ここを少しずつ区切って、区切った冒頭を意識してアクセントをつけてみましょう」と指導をされた。この歌い方は、それまで練習で全くやっていなかったから、半ば新しいフレーズのように臨んだことを覚えている。そこを何度か繰り返したように思う。そして、最終、私の記憶は、うまく強く歌った、というものであった。そのときである。先生は指揮棒を下げ、指揮していたときより眼を開き、「私がここで、いくつかアクセントをつけるよう、君たちに話しましたね。その通りに君たちは歌ったなあ。本当にアクセントがよかった」と私たちに話してくれた。先生の口ぶりや眼は、ともに歌を創り上げた高揚感に満ちていた。その言葉によって、交流のない生徒同士にも、一瞬の間、それぞれ眼くばせをして一体感が湧き起こったのであった。
ヴァイオリンとの協演
私の連想は尽きず、半世紀以上前に合唱したことを離れ、比較的最近のことに及んだ。今から9年前、東京芸大出のヴァイオリニスト、渡辺剛さんと熊野市文化交流センターで、私はピアノで協演するという機会をいただいた。このことについては以前の医報に寄稿したので、その一部を再掲する。「リハーサルは、これまで練習を重ねて自分のものとした曲が、新たに演じる曲のように様変わりしてしまったのである。先へ先へと進むヴァイオリンのテンポが、私に緊張を強いる。その緊張が、流れも音の強さも和音の鳴らせ方も変えさせた。」
音楽とは
小澤に対して、中国の音楽家たちは、「生涯忘れられない」「音楽の真髄に触れた」「さわやかな春風、新しい息吹を運んでくれた」と最高級の賛辞を送っている。指揮台の小澤を見る眼から、これらの賛辞は容易に想像される。そして、合唱指揮者の指導する言葉と眼は、一瞬にして大勢の生徒を一つにした。また、ヴァイオリンのテンポに気持ちが高ぶった体験。どれも、演者と演者とが特異な時間を共有していて、それは、ひいては聴衆に還元する準備の時間でもあることを今更ながら思うのである。作曲、演奏、鑑賞という三位一体の音楽、そんな音楽のエッセンスに触れたひと時を記した。