小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

矢島愛子のピアノを聴いて

2023年02月10日

ピアニストの矢島愛子さんが12月にCDをリリースしたので、さっそく購入した。すでに、『レコード芸術誌特選盤』に選ばれるなど、評価が得られている作品である。曲内容は、シューベルトのピアノ・ソナタ第18番、フランクの前奏曲、コラールとフーガ、そしてバッハ・ブゾーニ編曲のシャコンヌである。私はソナタを聴いているうちに、いくつかのことが浮かんだので記してみたくなった。無論、専門家が評価されたことに上書きなど出来ない音楽愛好家の想念が主なことである。

シューベルトのソナタ第1楽章は、長い物語を静かに語るように奏することから始まる。ちょっとした転調があり、3分くらいの経過のあと、同じリズムを刻む個所に遭遇する。そのリズムに、ふと気がついたら身体を揺らせていた。粒が揃ったピアノの音とリズムとを刻むために費やされた演者の過去の時間に想いを馳せる。この音がこれからどのくらい長く続くのだろうか、と思っていた矢先のフレーズの変わり目に抑制的な音を提供してくれる。変化は突然訪れるのである。また、短い全休符で、無音なのに緊張感を抱かせられる。まるで、ヴィルトゥオーソ。しかし、矢島さんは、まぎれもなく若いピアニストである。

中間部では、メロディーもさることながら、声でいうところの中声域を意識して浮き上がらせているのだろうと想像する個所がある。それだけではなく、低音の響きはどうでしょうかと、披露するようなパッセージ。低音に役割があることは言うまでもない。矢島さんの低音は、そこかしこでバッハの通奏低音を彷彿とさせ、古典派やロマン派というように区分けしなくてもよいように、普遍性を持った響きを有する。それは、シューベルトの低音と限らずに、ありとあらゆる音楽の低音がここに在る、という具合である。この長い楽章、低音が響いたり、休符なのに緊張感が高まったりと、耳から大脳へと経由する聴覚を啓蒙してくれているが如くであった。

第2楽章にも抑制的なフォルテッシモが散見され、大きな音とは何かと、考えさせられる。また、ここでも休符が緊張感を抱かせ、音の流れに疾風怒濤の文字がみえる。第3楽章。3拍子のテンポの愛しさ、ルバートの気持ちよさ。第4楽章。主題が繰り返して登場し、その結果、親しさを覚えるメロディーとなり、底の知れないことが露わになる。

親しさと底の知れなさとの乖離。これは、バッハを聴いていて、始終感じることなのに、矢島さんは、そのことを思い起こしてくれた。すなわち、シューベルトは、この世のもの、あの世のものを包括し、ひとが生きることのわけを「誘導」してくれるのだろうかと、夢想は拡がる。ピアニストは、その介在者に過ぎないのか。先述したように、これは、私の想念であり、演奏の評論ではない。而して、フランクもバッハも、このCDが新たな愛蔵盤となった。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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