小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

記憶される日本シリーズ

2014年03月27日

「マー君神の子不思議な子」とは、かつての東北楽天監督、野村克也が田中将大投手に対して呟いた言葉である。田中がシーズン24勝無敗の成績を引っ提げて、日本シリーズでも優勝に貢献したことは記憶に新しい。今年になり、ヤンキースと日本人大リーガー史上、破格の最高額で契約し、シーズンオフでも話題の中心だ。思えば、日本シリーズは、あの巨人が引き立て役になってしまった。田中を擁した東北楽天の優勝は、将来にわたって皆に記憶されることとなるかも知れない。

私は日本シリーズを久々にテレビ観戦した。パ・リーグの打者をねじ伏せた田中の投球を見てみたかったこと、東北を本拠地としたチームのリーグ優勝に、ミーハー的な俄かファンとなったことが理由だった。田中は第2戦に先発し毎回奪三振の力投で完投勝利した。彼は第6戦に再び先発した。この第6戦は、東北楽天が初の日本一まであと1勝と迫っていて、しかも地元仙台に戻っての試合であり、いわゆる「舞台は整った」場面だったのである。ところが田中はホームランを打たれるなどして、逆転負けをした。最後まで投げる、と申し出た田中の投球数は160にもなった。

翌日の第7戦は、東北楽天の3人の投手が完封リレーをした。2番手の則本が投げているときから場内は、田中がクローザーとなって連投する、という雰囲気となった。放送では、前日160球も投げたあと連投出来るだろうか、とアナウンスしていた。私も、シーズン無敗男が日本一を決める試合で敗北し、もし登場したとしても万全の心身ではない、と想像した。調子よかった則本に最後まで投げてもらった方がより勝ちにつながる、いや、田中に有終の美を飾らせてあげたい、と気持ちが錯綜する。カメラは時にブルペンでの肩慣らし姿を映し、気分は判官びいきとなる。

さて、いよいよ最終回となり、田中の登場となるまさにその時のことだった。解説者の古田敦也が、「完投した翌日も投げる、という未知の世界を私たちは体験することになります」と言った。未知の世界?その古田のひと言で、テレビ観戦に溶け込んでいた私は、ふっと現実に戻された。というのは、昔の日本シリーズで、西鉄と南海が各々巨人に勝利したことをすぐさま思い出したからである。西鉄の稲尾と南海の杉浦は日本シリーズで連投、2人とも独りで4勝をあげた。稲尾は5連投して、そのうち実に4試合を完投、杉浦も4連投、最後2試合を完投したのだ。この2人の偉業を古田は知らなかったのかも知れない。彼は1965年生まれであり、2人の偉業はそれ以前の出来事であったからである。

かつて杉浦の球を受けた野村は、稲尾を評して、打者の肩の動きを見て、その狙いを瞬時に見ぬき、投球動作中にも関わらず狙いを外した、と述べたことがある。その野村から古田は、ヤクルトの捕手時代にマンツーマンの指導を受けて、ID野球の申し子といわれた名選手だった。古田は、昔の稲尾や杉浦のことを直接野村から聞いていなかったのだろうか。

今思えば、稲尾や杉浦が連投したことは、無茶苦茶なことである。だからこそ、その無茶苦茶さは、当時野球が好きだった私にとっては、いつまでも忘れられないほどの出来事だったのである。その私と15年の年の差がある古田とを比べるわけではないし、田中の偉業を稲尾や杉浦のそれより過小評価するわけではない。ただ、野球人として、稲尾や杉浦の偉業くらいは知っておいて欲しいと思った。

ともあれ、田中は打者を塁に出して冷や冷やさせたが、何とか勝ちを収めた。私には、昔の記憶がよみがえって、「神様、仏様、稲尾様」と称せられた稲尾と、年間38勝もした杉浦を再認するというおまけ付きの観戦だった。(敬称略)