小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

中学の同級生を悼む

2019年12月05日

練馬区の片隅で、中学の3年間を共にした同級生が急逝した。先日、葬儀会場の練馬まで駆けつけた。一人住まいの彼の、あまりに急な逝き方だったので、連絡が万全ではなかったものの、中学の同期生が、小学校からの友人も含めて20数名が参列し、しめやかに行われた。

故人は、これまで同級会や同期会を50年以上にわたって率先して取りまとめてくれて、私たち同期生には、なくてはならない存在であった。「同期」についての言動は限りなくあり、たとえば、はからずも病を得た同期生を励ますことなど、誰よりも早く行っていた。また、私たちには、クラス担任だった超高齢の恩師がいる。その恩師が趣味で撮った写真を出展する会に、いつも同期生を誘っては鑑賞し、事後報告してくれていた。そして、今から20年前にメーリングリストを立ち上げた際にも、その責任者として立ち回ってくれた。事程左様にまめまめしい彼のおかげで、卒後半世紀経っても、クラスの結束は固いままである。

さて、私たちほとんどが、兎も角も馳せ参じた当日の集まり方から、彼の中学時代の仲間たちへの思い入れが、殊の外大きかったことが見えてきた。それは何かと、お経をいただいている最中に考えていた。一般に、知人の死に臨むときには、悲しみを伴うのだが、このたびは、それだけでは片づかない、胸にわだかまるものを抱いたままであった。

葬儀のあと、ある級友が、故人の底にある孤独感に思いが至らなかった、と述べていた。それはその通りだったと、私もそのことを聞いてから、わだかまりが解けたように思った。ひとには誰しも付きまとう孤独感が故人にもおそらくあったのである。もしかしたら、孤独感にさいなまれ、それと戦って結論が出ないまま、紛らわすために、同期会や同級会をまとめ続けたのではないだろうか。すなわち、いわゆる俗世に身を委ねた委ね方に、私たちは恩恵を被っていたのかも知れない。当日、別の級友が棺に向かって、ありがとう、としっかりとした口調で声掛けしていたように、皆は感謝の気持ちでいっぱいなのである。

故人は、酒席では、だみ声で持論を語ることがある一方で皆を笑わせて、いつも存在感が大きかった。それが彼独特の孤独感を覆い隠す方便だったのだろうと、今になって思う。孤独感など、ひとに理解してもらわなくてもいいと達観していたのかも知れない。いや、理解などできないことを故人は死んで私たちにわからせてくれたのかも知れない。精神医学者の故頼藤和寛さんが著書の中で、「どんな人間でもその本質が単なる骸骨であるという生物学的な平等原理だけは確固たるもの」と喝破していることに通じる生き方であったと、私は思う。

合掌