診療の中で
診療縮小
2022年08月30日
評論家の佐高信の著書に、人生の下り坂を下ることのむずかしさが書かれていた。仔細は忘れたが、年齢的な衰えを自覚せずに、まだまだやれるとがんばることで、思わぬ落とし穴に嵌るというようなことだったか。また、同じく評論家の青木雨彦の言葉を少し。ちょうど私が父と一緒に開業を志したころ、自分は二代目の医者には絶対に診察してもらわないと、何かの番組でしゃべっていた。すなわち、親の七光りを利用するような医者にはかからないということだったと記憶している。
このように評論家の言葉を引用したのは、9月に診療日と診療時間を縮小するために準備しているなかで、いまと始まりとを重ねて連想したからである。さて、後者の青木雨彦の言葉は、開業するための心構えを砕かれたような気分だった。まさに二代目となる矢先だったから、心身にこたえた。父と一緒とはいえ、初めて事業を始めるのであり、出発地点の真ん中にいた。私は、診療に専ら従事することで乗り越えようと思ったことを覚えている。
それから幾星霜、下り坂を下ろうとし、それを全うすることを思っている。この数年、仕事をして疲れが残ることが多くなった。それは、どう仕事に向かおうか、どう縮小しようかと思案する数年でもあった。さらにさかのぼった還暦のころ、腰を痛めてしばらく松葉杖を使った。痛むため行動範囲が狭まり、もう若くないと観念した。そして、65歳の頃より睡眠が浅くなり、途中で起きるだけではなく、早朝目覚めてしまうようになった。この睡眠の質の変化は、生活にだいぶ影響している。また、視力の衰え、ドライアイと、眼にも不具合がでた。まだまだある。仕事中に、薬の名前、患者さんのお名前など、固有名詞をなかなか思い出すことができなくなったこと等など。佐高信の言う下り坂を下るに足る証左が積み重なるが如くである。
医師は、下り坂をむずかしくしてはならない。下る手立てとして診療を縮小することは、体力を温存することになるだろう。そして、「自分を大切にしなければ、他人を大切にできない」と知人が常に口にする言葉がいつになく浮かぶ。縮小するにあたって、人事では若いスタッフに新天地を求めてもらった。老い支度をする私につき合うのではなく、若いからこれからの長い将来を見据えるよう望んだからである。また、関係機関への診療内容の変更届出準備など、ソフト面、ハード面ともあらかた済ませて一段落したところである。
この年齢になると、若い頃のような走り方が出来ない。もしかしたら、若さを失うことが、下ることをむずかしくしているのかも知れないと愚考する。ただ、若さがない分、経験を蓄積してきたことで、耐えられることもある。件の青木雨彦の言葉は、いま初めて耳にしたなら左程気にも留めずにやり過ごしたと思う。しかし、若いときには受け止め方もいまとはちがったし、また逆に若さがあったから、乗り越えられたのかも知れない。
診療を縮小することを待合室に掲示した。心身のバランスを常に心して、もう少しの間、歩みたい。