小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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しごとよりいのち

2024年04月07日

産業医は、定期的に研修を受けることを課されている。研修を重ねることで、ブラッシュアップを図り、産業医活動に寄与し、また、そのことが一定の単位を取って資格を更新することにもなる。今年受けた研修に、労働基準監督署からお招きした方の講演があった。講演では、過労死をなくすために取り組むべきことに割かれた時間が多かった。過労死を防止することは、喫緊の課題ととらえ、いただいた資料の表紙に、「しごとより、いのち。」と大きな字で書かれていて、これまで受けた過労死に関する講演とは異なった強い国の意思を感じた。

働く人の長期間にわたる過重な労働は、疲労を蓄積し、脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼすと言われている。特に、1ヶ月当たり80時間を超える時間外・休日労働がある場合は、発症との関連性が強いとされている。また、働くことで強い心理的負荷がかかると、正常な認識が阻害され、自殺を思いとどまる抑制力が低下すると言われている。長時間の労働を減らすために、事業主が取り組むことも述べられた。すなわち、事業主は働く人の労働時間を正確に把握すること、有給休暇取得増加、メンタルヘルス対策の割合を増やすこと、健康づくりを支援すること等など、多岐にわたっている。

これらの話は、その後行われた各事業所での安全衛生会議で披露した。私は、もう少し医師の立場から、栄養についても触れるようにしている。長時間に及ぶ勤務のあとは、ほとんどの人が食事を簡単に済ませてしまうことが多いようだ。それが一度や二度のことならまだしも、長期に「簡単食」が続くと、栄養の偏りが生じることが予測される。その結果、身体特に血管に影響が及ぶと、瑞々しさがなくなり、破綻しやすくなることとなり、重大な結果につながるだろう。だから、長時間労働は戒めなければならない、ということを付け加えている。

いのちの大切さは論を俟たない。幾重にもそのことを考えることが要るだろう。先ずは、「簡単食」ではない毎日の生活をすることから検討して欲しいと願っている。


相撲と習慣

2024年03月30日

大相撲春場所で110年ぶりに新入幕優勝を果たした尊富士。その快挙のニュースも一段落したこの頃である。優勝に酔ったからなのか、この数日、テレビをつけても大相撲の中継はなくて、ああ、終わったのだった、とたびたび確認する夕方のひと時である。終わってから、こんな風に後を引くことは、これまでなかったように思う。私には、場所中から存在感の大きな新入幕力士であった。その実力の分析は、専門家に譲る。

さて、力士は仕切りを重ね制限時間になると、呼び出しからタオルを渡されて、顔や身体を拭う。その拭い方は十人十色であり、力士一人一人に特徴があることが一目瞭然である。取り組みが始まって何日目だっただろうか、尊富士のタオルの扱いに目を見張った。彼はタオルを使ったあと、そのタオルを何と、ていねいに二つ折りにし、さらに折って小さくしてから呼び出しに返していたのである。ほとんどの力士は、タオルで拭った後はそそくさと、そして、人によってはぞんざいにというと言い過ぎだが、拭いたまま呼び出しに返して、すぐさま取り組みに集中している。

力士に限らず、ひとは生活の決まりきった行ないを、親からのしつけなどから習得する。彼の「タオル折り」は、しつけられたからなのだろう。何をどうしつけられ、「タオル折り」になったのか、ということはさておき、折ることが勝負に集中する一助となっているが如くの所作なのである。さらに、折るから勝つ、とあり得ないことまで想像した。私は、その習得した過去にも思いを馳せながら、毎日みていたら、あれよあれよという間に、大鵬の新入幕からの連勝記録に並んでしまった。

優勝を決めてからテレビの画面では、青森の実家の祖父が、「ほっぺにチューしたい」と満面の笑顔を振りまいていた。その笑顔と「タオル」とが重なって、家族の皆さんと彼の勝負強さとがさらに重なってみえた。もちろん精進の上での優勝にちがいないものの、育まれた習慣も力士の強さに一役買っていると、私は確信し、「巨人、大鵬、卵焼き」世代には、得も言えない記録を目の当たりにした春場所であった。


リズムの権化

2024年03月03日

遠い昔、学生オーケストラを聴いた。演目の最後はベートーヴェン交響曲第7番。リズムの権化という愛称があるこの曲で、そのリズムを刻むのに、ティンパニの役割が大きい。当時、学生オーケストラでティンパニを担当していた人が、サッカー部にも所属していた。その彼が、サッカーの練習より、この曲を演じる方が体力を消耗するというようなことを言っていた。

確かに譜面を見ると、全曲に渡って出番が多い。特に終楽章は冒頭からff(フォルテシモ)やsf(スフォルツァンド)が多くあり、ほぼ連続して叩き続けるように描かれている。その最終は、何と音符が61小節連続していて、しかも、sfはもちろんのこと、fffに至るまで強い記号が連なる。

ティンパニ奏者の昔のコメントを思い出したのは、晩年の小澤征爾さんが振ったこの曲を聴いていたときのことであった。このような愛称がついたのは、ティンパニだけではなく、リズムがオーケストラ全体から醸し出されるからだ。改めて、身振り手振りを含めた小澤さんの佇まいにぴったりの曲だと思いつつ聴いた。サイトウ・キネン・オーケストラの全員が強く弾く際に、一斉に身体の上体を低くしたり、逆に反り返ったりするような姿勢となる、その「風景」は、他の曲にも増してリズムを際立たせる。

小澤さんは、術後に体力が衰えただけではなく、腰痛も相まって、ほとんど椅子に座って指揮をしていた。それに、別の椅子も指揮台のわきに用意して、楽章の合間にそこに座って休んで、次の楽章に備えるという風であった。それが、第3楽章から終楽章へは休憩せずに演じた。終楽章の怒涛の進行に対して、ほぼ立ったままである。やせ細った体躯、椅子を用意しなければならない体力で如何に演じるのかを心配したものの、それは杞憂に終わった。すなわち、正確なリズム、力強さはもちろんのこと、今回の鑑賞で初めて気づいた、いわゆる「ゆらぎ」まで聴かせてくれたのである。生体にはゆらぎがあり、それが快適さにつながるといわれているが、メトロノームでは刻めないリズムが在った。おそらく、小澤さんは音符に内蔵するであろう自由度を確信的に垣間見たのではないか、と私は考えた。さらに、この第7番は、ゆらぎを表現するのに格好の「材料」なのだと動物的勘が働いた、ということも私は考えた。もちろん、ここに至るまでのリハーサルで、団員一人一人の力量に負ったところが多かったと拝察する。余談ながら、ティンパニ奏者は、体力的に望めばサッカーも出来るのではないかと夢想もした。

それにしても、リズムの権化とゆらぎ、というともすれば相反することの存在を発見、拝聴できた。さいわい、我が家には小澤さんの音源がいくつもある。これから何を発見できるか、追々楽しむことにする。


小澤征爾と同時代にいる

2024年02月09日

凱旋公演。1978年3月にボストン交響楽団を率いて来日し、日比谷公会堂での初日の演奏を行なった小澤征爾さんの公演ほど、この言葉にふさわしい公演はなかった。NHK交響楽団からボイコットされたという事件があって渡米し、10数年後に名門オーケストラを引き連れてきたのだ。演目はマーラー交響曲第1番など。公会堂の座席につき、程なくしたとき、小澤夫人が後ろの方から静かに入場し、その周りがサッと華やかになったことを覚えている。彼女の発するエネルギーの強さ。舞台が始まる前から、まさに凱旋していた。

ウィーンやベルリンなど、ヨーロッパのオーケストラに比べて、アメリカの方は大きな音量だというような定説が当時はあったように思う。そのことを踏まえて、団員が集まって本番前の音合わせを聴いていたら、何ということはなく、私の浅い経験からはあまり違いが感じられなかった。その後演奏が始まり、その響きは会場の華やかさと相まっていつまでも記憶に残った。そのためか、翌日にピアニストのルドルフ・ゼルキンと共演したことを失念してしまっていた。

今夕、NHK7時のニュースの最中、速報で小澤さんが亡くなったと報じた。10年以上前に食道癌を患って闘病生活していたことは周知のことで、最近の痩せられた様子を見るにつけ、こういう日が来ることは予測できた。各放送局が訃報を知らせるなかで、報道ステーションでは以前に放送した、モーツァルト・ディヴェルティメントK136をノーカットで再放送していた。若い演奏家たちを前にして、いつものように指揮する姿をみていた時のことである。第2楽章の途中で、思ってもみないようにテンポが遅くなる個所があった。テンポを落とすことで、若いときに作った、この曲にある深淵を覗かせてもらったようだった。しかし、小澤さんは楽しげに指揮している。こういうアンバランスが小澤さんに在ったのだ。

先に逝った指揮者の山本直純さんが、自分は音楽を大勢の人に親近感を持ってもらうように努めると言い、小澤さんに対しては、音楽の深さ、大きさを極めて欲しいというようなことを言っていたと記憶している。ニュースで世界中の音楽関係者が小澤さんの訃報にコメントしていたが、山本直純さんの言葉を裏付けしていると思いながら拝聴した。

音楽の申し子とも言える小澤さんと同じ時代にいたしあわせをかみ締める今宵だった。


偶然の一致

2024年01月28日

フランスに34歳という歴代最年少の首相が誕生した。それ以前、この国では現大統領も39歳で就任している。若いと思いつつ他の国に目を向けると、ニュージーランドでは最近まで37歳で首相になった人が、そして、フィンランドでは34歳で首相になった人が活躍している。それ以外の国を調べていないものの、3か国では若さが政治を席巻しているという感想だ。

フランスでは、伝統的に若い人が国のトップに就いているかというと、そうではない。歴代の大統領の就任年齢は、6代さかのぼってみると、若い人で48歳、ほとんどが60歳代で、70歳代で就任した人もいる。フランスの過去を調べてみた限りでは、彼我の差はないようである。ましてや、まもなく行われるアメリカ大統領選挙に立候補しようとしている人は70代と80代だから、若い政治家が統治することは、そのような国もある、という程度のことなのかも知れない。

それにしてもと思う。過去にさかのぼると、フランスと我が国とでは差がないものの、いまの彼の国のように30歳代の為政者が我が国にも出現するようになるのだろうか。いや、国の政治を任せるにあたり、年齢で区切ることは適当ではないかも知れない。

と、ここまで書いたまま、事情があって中断していた。その数日後、朝日新聞の天声人語に、「政治家にとって年齢はどれだけ重要なのか。」という書き出しで、アメリカ大統領選挙、フランスの34歳の首相を例に出している。そこで、若いという年齢ではなく、「大事なのは力量」だと説いている。そして、年齢についての調査、投票率などに言及し、昔、若かったケネディ大統領の演説に触れて文章を終えていた。

ところで、私が政治家の年齢について述べようと思った理由は、自分自身の来し方を顧みて、馬力のあった若い頃を想起し、フランスの首相にエールを送りたかったからである。と言いつつも、私と天声人語の記事がほぼ同じ時期に、政治家の若さのこと、しかも、フランス、アメリカと引合いまで偶然に同じだったことに驚いている。ここで、朝日新聞の人気コラムである天声人語と比べることは、畏れ多いことであるものの、偶然に一致したことに、見えない何かの力が浮かんだ。もしかしたら、事を成す、あるいは事が起きるときには、偶然も重なって、一気にうねりが出来るのかも知れないと、大層なことを思った。

若い政治家について考える人が一人、二人。それが10人、20人と増え、100人、200人とさらに増えて、もっとその先に、さらにさらに増えていくことを想像する。そのようなうねりがあるときに、人知の及ぶところではない偶然が大きな力を呼び出す役割を担うのかも知れない。そして、海の向こうのフランスに限らず、身近でも若者の台頭が用意されるのではないかという夢想に浸るに至った寒中のひと時であった。

 


感染と隣り合わせて

2024年01月07日

天災は忘れたころにやってくる。寺田寅彦のこの言葉が、元日に能登半島地震が起きたときに浮かんだ。しかし、しばらく前から群発地震が続いていた地域であり、当地の人たちは、忘れていたわけではないだろうということなど、いくつもの思いが交じり、テレビにくぎ付けになった。地震で亡くなられた多くの人のご冥福をお祈りし、まだ行方不明の人々の早い救出を念じる毎日である。このような年の初め、毎年開催される箱根駅伝の観戦は、例年のように走る人の熱を受け取れないまま終わった。

ここにきて、被災して体育館などで不自由な生活を送っている人たちの中に、新型コロナ感染症に罹った人がいるというニュースがあった。ところ構わず、感染症は襲ってくる。劣悪な環境で生活していたらなお更である。それにしてもコロナ禍の3年余、感染の構図が激変した。インフルエンザが3年間ほとんど流行しないまま過ぎたと思ったら、昨年末に全国で例年より早く大流行している。ヘルパンギーナが夏前にいつもより流行し、プール熱が寒くなってから多くなった。溶連菌感染も多いと聞いた。これに関連するのかわからないのだが、川崎病に罹るこどもが多くなったようだ。よくいわれるように、コロナ禍で外出を控え、マスクをして、手洗いを励行するなどのことが、ひとに感染して活発になるウイルスの動態に変化を与えたのだろう。そして、以前のように外出し、マスクを外した結果が、感染が増えているいまの事態と関連があると思われる。しかし、いつも通りではない感染様式がいつまで続くのかは、本当にわからない。

一般に感染症は忌み嫌われる歴史を辿ってきた。昔は不治の病といわれた結核など、感染すると致命的な転帰をとることが多かったから、当然のことなのかも知れない。しかし、感染の効用にも目を向けておきたい。小児科では以前から「六づくし」という言葉がある。これは、こどもは生後6ヶ月から6歳まで60回熱を出すものなのですと、発熱を繰り返して不安になる親御さんに説く言葉である。事程左様に、こどもは感染を繰り返すものである。特に、保育園に通うこどもたちは、そうでないこどもたちより数多く熱を出す。すなわち、お互いに感染をし合っているのである。そして、繰り返し感染したことで抵抗力がつき、ほとんどのこどもたちは小学校入学して間もなくすると、うそのように風邪を引かなくなる。また、保育園でより多く感染を繰り返したこどもたちが成人になると、ある種の感染を免れるという成績があるという。

目下、インフルエンザがいつにも増して流行していることなど、コロナ禍を経て、感染の機会が減り、ひとの免疫が脆弱になったことと無関係ではなさそうだ。コロナ禍がなければ、普段の生活を続け、普段の感染を繰り返して免疫を保っていただろう。とはいえ、積極的に己を感染させることは戒めなければならない。適度に、これがむずかしいのだが、感染を繰り返すことが、身体の防御機構をかく乱させ、引いては抵抗力を増すことにつながるようなのだ。

以上、微生物とひととは、おそらく人類始まって以来、感染という形で関係を続けている。見方を変えれば、生き抜くために絶妙なバランスをとっていると思うのである。被災地のように劣悪な環境は、病原体優位になりバランスが取れず、感染を憎悪させることは明らかである。そのうえ、被災した人たちの免疫力もコロナ禍の3年で弱くなっていることが考えられる。また、災害関連死のうち、気管支炎や肺炎など感染症による割合が3割を超えているという。速やかに復興されることを願ってやまない。


声に惹かれて

2023年11月23日

東京神田の古本屋街を、コロナ禍前のある日に歩いていたときのことである。街にある多くの騒音と切り分けられて、ソプラノの声が突然聴こえてきた。それは、騒音に抗して、よく響く声で、私の耳元まで達した。何という声だろう。そして、もの悲しいメロディ。瞬く間に、私は言わば虜(とりこ)になってしまった。

この歌そのものを間近で聴きたくなった。おそらくCDだろう。その鳴らしている現物を見たくなった。もう夢中で音源場所を探した。どうも上の方から聴こえてくるようだ。階段を見つけなければならない。階段が見つからない。その間に、流れている声が途切れて、どこに在るのかわからなくならないだろうか。やっと眼にした階段を小走りに上った。果たして、それは階上のほとんど人が寄り付かないような店構えの中にあった。この歌を間近で聴いていると、やっと会えたというような感慨無量の面持ちになった。

初めて耳にしたとはいえ、ロシアの歌だと思いつつ、店主に曲を確かめたら、ロシアのロマンティックな歌を集めた輸入CDの冒頭の曲だった。Dubuque作曲、Do not chide me,mother。叱らないで、お母さん、と訳したらいいのか。これは、すぐに口ずさむことが出来る易しい曲である。歌い手は、カイア・アーブというエストニアのソプラノ歌手。短い曲がいくつも収録されていて、その場で何曲かを試聴し、そして購入したのである。

家に戻ってから、このCDを折に触れて聴いている。しかし、どういうわけだか神田で耳にしたときのような感懐はないのだ。もちろん、落ち着いて聴いているし、その都度、身体に染み入るので、不満などはない。しかし、何かが違う。すなわち、虜になったエネルギーがいまはないのである。

以前、私は駅ピアノを弾いた。そのとき、ちょうど電車から降りてきた大勢のお客の足音や話し声などが周りに生じたことで、返って弾くことに集中できたことがあった。そんなことを思い返していると、神田の街中の騒音とソプラノの声が対置することによって、今度は弾くのではなく、聴くことに思った以上に集中できたのではないかと、想像したのである。確かに、クルマが何台も駆けているなかで聴こえたソプラノ。静かな我が家で聴くこととは、ちがいが自明である。騒音の中の声と私の脳内とが、これまでにない「化学反応」をしたのだと夢想した。耳鼻咽喉科名誉教授だった角田忠信は、雑音を右脳で聴くなど、脳には機能差があることを追究していた。私が騒音のなかで弾いたり、聴いたりしたことは、角田の述べたこととは関連がないことは承知しているものの、聴く条件によって、その内容を脳内に刻む、刻み方が異なるのだろうと思ったのである。

騒音の中の「創造美」。体験をしたからこそ、このように記してみたくなった。

 

追伸

カイア・アーブが歌ったDo not chide me,motherは、ユーチューブで試聴可能である。

https://www.youtube.com/watch?v=qWatGGRSCSw

 


ルプーのピアノ その2

2023年10月29日

昨年鬼籍に入ったラドゥ・ルプーの音源を私は1枚しか持っていないと思っていたのに、棚にしまってある中に、さらに1枚あったことがわかり、喜んで鑑賞した。曲は映像で残された、モーツァルト・ピアノ協奏曲第19番K459である。

彼のピアノを聴くと、以前に記したように、音を生地に例えてベルベットのような肌触りのようだと感じたことは、このモーツァルトを聴いても変わらなかった。この曲もほかのモーツァルトの曲と同じように、長調と短調とが織り成して、その構成が深く大きくなる。ルプーは、織り成し方を自然に、としか言いようのない弾き方で進めていく。それがひいては、モーツァルトには「歌」があることを改めて感じさせてもくれる。ルプーは、歌を歌っているのである。転調するたび、あるいはフォルテシモの個所になるたび、もっと音が鳴り続けて欲しい気分になる。そういえば、かつて指揮者のブルーノ・ワルターが、モーツァルトの曲のリハーサルで、団員に対して「sing」と何度も口にして、歌うように演じることを強調していた。作られた曲を読み込み、モーツァルトの意図した響きを鍛錬された指で演じ、聴衆に披露するという当たり前の道すじが、この上ない時間を用意してくれる。

ルプーは、濃い真っ黒なひげをたくわえていて、暗い夜道などで会うと、怖くなるような顔かたちをしている。ところが、彼の弾きながら指揮者をみる、あるときは前上方をみる、その眼のやさしいこと。信じるものがあるとすれば、この眼なのだと思ってしまう。また、眼力などという定量的ではない言葉も浮かび、つい音楽を離れてしまうものの、この眼は、彼の奏でる音楽と一体なのだと夢想もした。それはともかくとして、好きなモーツァルトを、体を揺すらせて口ずさんで鑑賞したひと時だった。

追伸

ルプーの演奏を希少なお宝映像と思っていたら、ユーチューブで試聴できる。

https://www.youtube.com/watch?v=6tPynm0mwEw


反復すること

2023年10月22日

目下併読している本の中に、同じようなことが書かれていた。すなわち、四方田犬彦著『いまだ人生を語らず』に、「本を読むことの本当の面白さは、それをいくたびも繰り返し読むところにある」とある。もう一冊、『日本の最終講義』の中にある木田元の講義録に、「…という本は、ずいぶん何回も読んできました。大学院の演習で何年かかけて読んだこともあります」というように、双方反復して読むことに触れている。

これらの言説に複雑な思いに駆られる。というのは、私はこれまで、数冊を除いてほとんど繰り返して読んだことがないからである。木田元は、繰り返すことによって読み方が変わったことを講義の題目にしていて、その効用を説いていた。一方で四方田は、繰り返して読むことで、それまで読んだときにはなかった異なった姿を見せてくれる、と書いている。さらに彼は、多くを読む必要がなく、いくら一万冊読んだとしても、一度しか読まない人は不幸だ、ということまで記している。

さて、ひとは年を重ね成熟する。さらに長らえると老化という新たな経験が待っている。光陰箭(矢)の如く、時節流るるが如し。古希を過ぎてからというもの、ついこのことわざを口ずさんでしまうほど過ぎ行く時が速い。そのようないまでも、まだまだ興味を惹かれることが多くある。つまりは、知識と経験を広めたい意欲があるのである。また、「時間との戦い」という言葉が現実味を帯びつつあることも加わり、あれこれの書物を手にしている。それはまるで、四方田の言う不幸を重ねているが如くの読書なのである。この私の読み方は、四方田に一刀両断にされるだろうことは明らか。すなわち、私の読書に抱く意欲は、どうも違っているように思う。

そんなある日、読んでいる本に、私はいくつもの付箋を挟むことに思いが至った。付箋の先には、鉛筆で線を引いた文章がある。それは、印象深かった個所の導(しるべ)であり、読み捨てるだけでは惜しいと思ってのことで、いつかは血となり肉となる材料を保存するような意味合いなのである。はて、この私の作法は、読み返しはしないものの、四方田の言う「面白さ」を私も体現しているのではないかしら。何ともはや、「不幸」が一転して、繰り返すことの効用を体現しているではないか、少なくとも形の上では。そこで、改めて四方田の述べている例の個所を、付箋を頼りに読み返してみた。そうしたら、彼にはたくさんの書物があり、そのなかには、装丁が気に入って書棚に置きたいという本もあるようだ。さらに、それらを整理し、最後に百冊ほど、繰り返し読んだ書物を手元に残るようにしたい旨が書かれていた。ふーむ、私とは五十歩百歩ではないかと、妙に共感を覚えたのである。

一度しか読まなかった本は、その一度で満足したことがあれば、読んでも興味を抱かなったこともある。それだけではなく、立花隆も言うように、文章がわからない、あるいはつまらない本に時間を費やすのは人生のむだだと思って切り上げることもしばしばである。

反復して読みたくなるのは、自然の発露だと承知する。また、年を重ねるということは、無遠慮になることでもあり、目下ひとが何と言おうと、私なりの読書を続けたい。一度っきりの著者との出会いも反復することも、残された時間を楽しんだらいい、という結論である。


シューベルトの強弱記号

2023年09月04日

早逝したシューベルトは、30歳、31歳の晩年にいくつもの傑作を書き上げた。ピアノ曲である3つの小品(D946)もそのうちの1つである。私は、その中の第2番を好み、数少ないレパートリーのうちにしている。この曲の後半に、弾き始めたころから気に留めていた個所がある。何となれば、同じフレーズが続く個所につけられた強弱記号が異なっているからなのである。それは、ちょうど179小節から4小節にわたって、ファレ、ドシシ、ドラドラ、シソシソのフレーズがあり、その直後の183小節からも、同じように繰り返されている。すなわち、この2つは同じフレーズにもかかわらず、179小節にはfp(フォルテピアノ)、183小節にはfz(フォルツァンド)の記号がつけられている。前者は、強く直ちに弱く弾き、後者は、特に強く弾く記号で、強く弾くことでは似た者同士である。そこを違えて弾くことの難しさがあるものの、私は弾き分ける理由を知りたかったのである。ここは、知るためにいくら情理を尽くしたとしても、私には踏み込むことが出来ない領域であることをわきまえつつ。

シューベルトは、18世紀の終わり、1797年に生まれた。その20数年前にはドイツで文学運動があり、それはシュトゥルムウントドランク(疾風怒濤)と称して、人間性の自由な発展や感情の解放を主張して、ロマン主義の先駆をなしたといわれる時代であった。それ以前の啓蒙思想に反発したこともあって、激しい感情表現をめざし、反理性的で、極端に主観的判断に重きを置く点が特徴とされている。その頃20代であったゲーテはその旗手となって、ドイツ文壇に確固たる地位を獲得した。そのゲーテの詩をもとにして、多くの歌曲を作ったのがシューベルトである。18世紀の終わりから19世紀を、私なりにひも解いてみたら、生下時より疾風怒濤期にいたシューベルトは、その「洗礼」を受けていたのだろうと想像できて、鑑賞するにあたりそのことを勘案する楽しさがあることを改めて知った。

さて、その疾風怒濤と強弱記号をつけることの関わりを想う。シューベルト以前と以後とを細かく比べたわけではないが、シューベルトに続いた多くの作曲家の作品には、強弱記号も速度記号もその数と内容が増えているようなのである。ここで、シューベルトの作品に記号が増えていることに疾風怒濤が関わっているというような速断は避けなければならない。しかし、生まれながらにして、その時代がシューベルトを育んでいるのであり、記号の多さと感情の発露とは無関係だというのも無理のあることである。彼は、当世風に感情表現をめざすのに、「装置」としての記号を多用したと思ったのである。fpとfzを対置し表現したのも、そのような時代にいたからこその創作の一環だと思った。それでも、ここで彼が記号を二つ用意して如何なる感情表現のちがいを見せようとしたのかは、うかがい知ることは出来ない。もし彼が存命で、ここのちがいを質してみたら、ああ間違った、同じ記号でいい、と答えるかも知れないなどと夢想もした。そのように思う傍ら、勘繰りのレベルながら解明すべく、この部分を繰り返し弾いてみた。その結果、終曲に向かうと告げることを、この二種の記号に各々課したということが浮かんだのである。実際、異なった二種の強さを経てからは、デクレッシェンドし、続いてpp(ピアニシモ)があり、静かなまま終曲につながっていく。そして、静かに始まる終曲は、ロンド形式のように曲の始めの主題と同じで、迷いの生死を重ねる輪廻のように結ぶが如くである。

以上、異なる強弱記号の存在をきっかけに、文学運動の一端にも触れた。音楽鑑賞や演奏に、時代背景を踏まえることの楽しさを垣間見る思いである。目下、ここを弾くたびに頭には疾風怒濤の文字が浮かび、指は活性化している。


身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

小山医院

〒519-4325
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