小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

妹にひかれてリサイタルへ

2019年02月20日

ピアノ科を出た私の妹から、リヒテルのピアノ・リサイタルを聴きに行こうと誘われたのは、私がちょうど二十歳の時だった。日本に初来日した、そのリヒテルの名演に興奮して以来、彼のファンになったのは言うまでもない。すでに初来日を聴いてから40年以上経った数年前に、また妹から、ユリアンナ・アヴデーエワはすばらしいピアノを弾くからと、聴くことを勧められていた。果たして、アヴデーエワを聴く機会に恵まれたのである。以下はその鑑賞メモである。

リサイタルは、ショパンのマズルカから始まった。大勢の聴衆が静かに固唾をのんで見守る中、静かに音が鳴り始めた。まるで、ヴァイオリンだったら弱音器をつけた如くに。音楽が進み、大きな音になっても、何の破綻もなく静かな音がそのまま大きくなったようだった。マズルカ3曲を弾き終えた次のピアノソナタ第3番、出だしの一度聴いたら忘れられない下降音を絶妙なリズムで奏でる。あとに音楽が展開しても、その下降音は、いつまでも耳に残る。終楽章は、叩きつけるような和音から始まり、終始激情的なメロディが在り、そこを圧倒的なエネルギーを発散して終えた。それなのに、何ごともなかったかのようにお辞儀をし、平然とした足取りで舞台をあとにする彼女と、たった今終わったドラマチックな音楽との得も言えぬ乖離を感じたのは私だけだっただろうか。詩情は、体力と精神力があってこそ生まれる、という言葉が休憩時間にボーっと浮かんだ。また、超越的なものは、些細な日常生活動作と一体なのだということも。

後半は、シューマン「幻想小曲集」からであった。音の粒が一つ一つはっきりと聴こえるからなのか、メロディがやけに優しく響いた。曲集の最後を静かに弾き終え、鍵盤から手を離して、なお静かに座り続ける彼女。大勢いる中で、誰一人として拍手せずに、無音の中で時が過ぎる。そして、彼女の何かの動作の後の万雷の拍手。拍手をすることの喜びがまことに長く続いた。音楽が終わり、無音のまま拍手できずにいた経験は二度目である。昔バーンスタイン指揮、マーラー交響曲第9番を聴き終えたとき以来であった。

アヴデーエワは、リサイタルをシューベルト「さすらい人幻想曲」で締めた。この曲もタフな音が連続していて、正直なところ聴き疲れた。彼女も途中で集中力がやや弱くなったのではないか、と思う個所がほんの少しあったものの、31歳で夭折したシューベルトの歌心を思う存分響かせてくれた。聴き終えて、リヒテルが弾いたさすらい人を思い出したのは偶然か。二人ともロシアで活躍、まるで、さすらい人を十八番にするのは、ロシアですよという声が聞こえたようであった。

牛にひかれて善光寺に参った老婆が信仰心を持ったが、私は妹にひかれて、良いピアニストに巡り合った。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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