小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

主よ、人の望みの喜びよ

2017年07月01日

ラファウ・ブレハッチは、2005年のショパン・コンクールで優勝した世界的演奏家である。コンクールの際には、他のピアニストたちを引き離して、2位が該当なしという圧倒的な成績だったと聞く。ショパンの故国ポーランド出身であり、先ごろ本屋大賞に輝いた『蜜蜂と遠雷』に登場する16歳の天才少年のモデルではないかと推測する人もいる。

彼が演奏しているCDを購入した。1枚は、ショパンのピアノ協奏曲が2曲、もう1枚は、バッハのいくつかの曲が録音されたものである。1枚目のショパンをじっくりと聴いて、ああ、天才の演奏だと、月並みな感想を抱いたのが数日前。今度は、もう1枚のバッハを聴いた。ペダルによる響きを抑えて、どの一音もはっきりと聴こえる。イタリア協奏曲では、これまで聴いたことのない装飾音を散りばめている。その数は尋常ではなく、音符の数がいくら増えても、リズムは微動だにしない。それだから、フレーズが終わるごとに、得も言えない落ち着きを抱かせてくれる。リズムがしっかりしていることは、足回りのいいクルマに乗っているようでもある。

パルティータ第1番を聴いているうち、ふと、往年のピアニストのディヌ・リパッティを思い出した。リパッティは、白血病を発症し、体調の悪い中で、周囲の必死の努力もあって、珠玉の演奏を残してくれた。数少ないレパートリーの中のパルティータ第1番を、私は学生時代に、貴重な演奏のうちの一つだと認識しながら、何度も聴いたものだった。さて、ブレハッチのバッハである。私の耳には、リパッティと同じタッチ、同じペダリングに聴こえた。昔の記憶を確かめるために、さっそくLPを取り出して聴き比べてみた。まさにブレハッチの演奏は、リパッティを彷彿とさせるものであった。

リパッティは、1950年にブザンソンで演奏会をしたのを最後に、その2ヶ月後、33歳の若さで亡くなった。演目には、ショパンのワルツ全曲が予定されていたが、力尽きて、最後の曲を弾くことなく、13曲を弾いたのち、バッハの「主よ、人の望みの喜びを」を弾いて、静かに会を閉じたと聞く。残念ながら、ブザンソンでの演奏会の音源に、このバッハはない。しかし、幸いにして、もっと以前にこの曲は収録されていて、私は重宝にしていた。こちらも聴き比べてみたら、ブレハッチは、やはりリパッティと同じ音楽を作っているではないか。私の経験上、このようなことはあまりなかった。しかし、聴くということは、主観が多く入り込むため、実際にそうなのかどうかは、心もとないが、とにかく同じなのである。ちなみに、私の手元にあるニコラーエワは、ペダルを大いに使って、趣のちがうバッハを作っている。

病を得て夭折したリパッティも、まだ若いブレハッチも、収録曲は数少ない。その少ない中で同じ曲がある偶然をかみしめて、両名に対して同じ感想をもった。時代をさかのぼって、昔の演奏を今と関連付けられるかどうかと考えることは、目下の私の知的な遊びである。

ブレハッチは、今年32歳。この年齢だったリパッティより大きな未来がある。今秋の来日公演が楽しみだ。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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