小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

蝶々さんと赤色

2015年07月01日

作曲家プッチーニは、日本を舞台にしたオペラ、蝶々夫人を作った。アメリカ海軍士官と芸者蝶々さんとの悲恋物語である。アメリカに行ったきりの夫を待つ蝶々さんに、すでに別の女性と結婚した、という知らせがあった。やつれ果てた末に、自害して劇は終わる。以前、浅利慶太さんが、このオペラを本場イタリアで演出して評判になった。その演出が映像に残されている。最期に自害する場面、白装束に身を固めた蝶々さんが、白い布を敷き詰めた場所に座っている。刀に擬した扇で胸を刺す。今度は、その扇を少しずつ開く。扇の赤地が見えて、胸から出血したことがわかるという塩梅だ。果ててうつ伏せになったその時、周りにいる黒子たちが敷いた白い布を引っぱると、鮮やかな赤い布が現われ、辺りが血の海と化してオペラは幕となる。

この白から赤への変化は、なかなか印象的である。この間、もちろん音楽は鳴っている。しかし、赤い布の出現は、音を超えてしまって、まるで無音オペラのようだと一瞬思わせた。演出を終えた浅利さんのインタビュー記事がある。そこでは、「劇的というのは非常に単純に規定できるんです」と語っている。そして、最期の場面について、乃木希典大将夫人の自害を念頭に置いたと述べている。大将夫人は、お子達に先立たれて、血の涙を流したといわれ、殉死した大将のあとを追って、胸を突き刺して自害した。乃木夫妻からただよう、いわゆる武士道精神をオペラに融合させようとしたのだろうか、と想像する。

浅利さんは、劇的さは単純に規定できる、ということを、生々しい血の色で完結させたようだ。この白から赤へと変化するさまに、私は視覚が音楽を凌駕したと思う一方で、その劇的さ故に、返って違和感を覚えた。蝶々さんの選んだ死の前に、例えば小さな我が子に別れを告げなければならない心境がどう表現されるか、などということは、その後の赤い色の出現で隠されてしまったように思う。人間蝶々さんの一期の終わりのアリアが武士道的振る舞いによってかき消された、というと大げさか。悲恋の末に自害することは劇的ではある。しかし、それを写実的に強調すると音楽を削いでしまうのではないか、と思うのだ。

さて、戦後に再開されたバイロイト音楽祭で演出した、ワーグナーの孫のヴィーラント。彼の演出は、抽象的な装置を用いて、それまで普通にあった写実性をなくした。私が記憶している舞台は、1960年代に来日した際に演じたトリスタンとイゾルデのそれである。舞台の中央には大きく高い板のようなものだけがあり、その上の方に2つの丸い穴があいていた。この2つの穴は1つにはならず、結ばれない二人を表わすらしくて、説明なしには理解が出来ない。パルシファルでは、円盤のみを用いていた。時代が飛んで、最近のバイロイトの舞台では、背広姿の人物や、現代的な工場と思われるような装置を用いていて、古代の伝説などを題材にした楽劇がさらに変貌してしまっている。

ワーグナーについては、作曲した時代に即したもの、そして古代や中世を題材にしたものは、その時代考証を踏まえて演出した舞台ものを私は選びたい。過去の記録の中では、ヴィーラントの弟であるヴォルフガングの演出は写実的な要素もあり、私は好んで鑑賞している。私は演出技法については不案内だ。だから、浅利さんとヴィーラントとをひっくるめて論じることに無理があるかも知れない。しかし、オペラ鑑賞するにあたって、両者の演出だと、その楽しみが薄まってしまう。

ワーグナーでは写実的な舞台を望み、蝶々夫人では写実的すぎて嫌だという矛盾。いずれにしても、この私の好き嫌いという気持ちがある限り、多くのオペラを演出も含めた総合芸術として鑑賞できないのではないか、という結論だ。それは、物ごとを思い通りにしたいというわがままなことと同じだ。在る芸術をそのまま受け入れるには、オペラでいえば、演出家が抱く哲学のようなものにも思いを致すことが要るなあと思う。好き嫌いと言っているようでは、まだまだ精進が足りない。そうはいっても、オペラの鑑賞に限らず、身の周りを自分の思い通りにしたいという性は、大抵の人にあるのではないだろうかと想像しながら、精進せず、目下受け入れられるオペラを選んでいる。狭い枠内でも楽しめるのだから、まあそれでいいのだろう。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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