小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

三重県熊野市 小山医院

音のこと

フリッチャイの映像

2020年01月02日

若くして世を去った音楽家は数多い。その中でも、フェレンツ・フリッチャイは、戦後しばらく活躍した指揮者で、48歳での早逝を惜しまれた。この正月休みに、彼が残したスメタナ作曲、「わが祖国」からモルダウを聴いた。

フリッチャイは、ハンガリーで生まれ、おもにドイツで指揮をとった。いくつかの交響楽団や歌劇場で指揮を続けて、重要な音楽監督を引き受けた時期に、白血病を発症。もし、ずっと長生きしたなら、20世紀を代表する指揮者となったと言われている。その彼が残した録画がモルダウである。すでに発症して、病魔と闘っていた彼と録画する当日に会った知人が、苦しげで、やつれた様子であったと述べている。彼も、果たして出来るかどうかわからない、昨夜は苦しくて眠れず、今日の録画を断ろうかと迷っていたという。そんな状態にもかかわらず、正に命を削って音楽を創った貴重な映像である。

モルダウは、ボヘミアを流れる河の名前で、スメタナは、その河の情景を音楽に映し出した。曲は、山の水源から河が流れ出すところから始まる。次第に水の量が多くなって、主題を歌い上げる。途中、農村での婚礼の踊り、夕やみが迫った静けさ、月の光に水の精たちが踊るという風景を描く。さらに曲が進み、水しぶきがかかるような激しい流れを経て、市中に流れ込んで徐々に弱くなり、河と別れを告げて曲が終わる。

10分少々の曲に対して、音源には、その4倍以上の時間のリハーサルが残されていた。そこでオーケストラ団員に伝えている言葉には、音の技術的な修正から始まり、生き方に至るまで、多くの事柄があふれ出ている。言葉だけではなく、時にテノール歌手のようにメロディを口にしながら、遊び心を感じて、と諭すように伝える個所がある。また、演奏した音に色彩感はあるが、足りないのは、生命が始まる驚き、喜びの表現である、という具合。そして、一つの生命のように、河が成長するため、ここで弦がしっかりしなければならない等、改めて、指揮者は語彙が多いと思ったのである。この愛すべき河は流れ去っていく、と団員に説くように伝え、最後の音を何度もおさらいをしてリハーサルは終わる。

曲の後半で、この曲は、生きることはすばらしいと歌っている、と団員に伝えて、さらに、すばらしい、と自分に言い聞かせるように言葉を発する場面がある。件の知人によると、余命が少ないことを自覚して敢行したようである。だからだろうか、リハーサルで発した言葉に、辞世の句、といって差し支えない、表現される音楽に比肩する力のようなものを感じるのである。

このところ、頼藤和寛さんの著作である「ひとみな骨になるならば」を読んでからというもの、刹那的になることしばし。とにかく、「あなたやわたしが宇宙の中心であるにせよ、いずれは死んで腐って、あるいは焼かれて、塵に戻る」という一文が、折に触れて脳裏をかすめるのである。これはごもっともであり、反論出来ることではない。読後しばらくは、たとえば、好きな音楽を聴いたところで、どうせ死ぬ身である、と自棄になり勝ちであった。そんな中でみたフリッチャイが残した映像。これは、私の記憶に留めたいという衝動にかられた。すなわち、「塵に戻る」自分なのに、彼のような指揮者に巡り合ったことを、偶然のすばらしさである、と称えたくなったのである。つまるところ、塵になる前に、このような出会いがあるのならば、喜んで塵に戻ろうと思った次第である。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

小山医院

〒519-4325
三重県熊野市有馬町285-1

TEL.0597-89-2701