小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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カルテの裏側

子どもの薬

2021年12月20日

診療していたある日のこと、幼児の母親から、この子はこの医院で処方する薬しか飲まない、と言われた。このことは、しばしば聞くことであり、その都度30年以上昔に、まだ幼かった私の娘たちに薬を飲ませて、「味見」をさせたことを思い出す。医院開業当初、患者さんに薬を処方するにあたって、飲みやすい薬を探していたのである。

当時、多くの小さな子たちが定められた薬用量を飲めるかどうか、私は疑問に思っていた。というのは、私が小児用の薬を試しに飲んでみたところ、苦みが強い薬もあったのである。少なくとも、私が処方する薬は、子どもには飲みやすくしたかった。ただ、子どもの味覚が大人と同じなのか、あるいはちがっているのかがわからなかった。そこで、私の娘たちが風邪にかかった時に、あれこれと種類を変えて、この薬はどう?と実験台になってもらったのである。もちろん、私の娘たちの味覚に合えばいいということではないものの、一つの基準にはなるだろうと思ってのことであった。娘たちは、「これは飲める」「これはまずい」と、にわか主役になったことを得意げにこたえていたことを思い出す。思えば、小さかった私の娘たちが健康被害を起こさない程度の配慮はした。しかし、たとえ我が子といえども実験台にしたことは、人道的に良からぬことであったと今は思う。

さて、この小児を始めとした感冒薬は、成人も含めて時を経てもそうそう変わるものではない。特に小児については、日下隼人の著書『小児患者の初期診療』に、「簡単には新薬に飛びつかないというほうが真理」と書かれているように、大人以上に慎重さを要するのであり、処方するには、旧来からの薬が良いのである。そのような根拠があって、一度決めた薬の種類は、揺るぎなく今日まで続けている。この揺るぎなさは、ジェネリックに簡単に変えられないことにもつながるのである。

私が日々子どもたちに処方する薬の味を選んだことが、大げさに言うと、生まれてから食べ物を口にして味覚を整えることに貢献していると自負することもある。そういえば、いま放送中のNHK朝ドラに、敗戦の混乱期にある岡山の街があった。そこで、潰れた家の瓦礫のそばで菓子作りを再建しようとするヒロインの父親が、「菓子は苦しいときほど必要なものだと思う」と話していた。

乳幼児期に味を覚えていくとき、敗戦後の苦しいとき、ここに共通するのは、生きる根源を支える味覚への渇望である。改めて、このようなことに参加できる私の境遇をうれしく思う。ひいては、味を生業とする人の生い立ちに想いを馳せつつ、子どもたちに、しっかりとした味を用意してあげたいと思った。